2013年8月2日金曜日

「お手紙」 その4

「お手紙」 その4(終結部)

★終結部
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 四日たって、かたつむりくんが、がまくんの家につきました。
そして、かえるくんからのお手紙を、がまくんにわたしました。
お手紙をもらって、がまくんは、とてもよろこびました。
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「四日」も二人は手紙を待っていたのである。その間、今か今かと毎日玄関に二人して座り、楽しい気分で過ごしていたのだろう。逆に言うと「四日」もそういう気分を味わうことができたのである。その原因は「かたつむりくん」である。少し慌て者のかえるくんが、あわてて何気に頼んだのが「かたつむりくん」だったおかげである。

★この「待つ」に関わって、跡上先生は次のように述べている。
同じ「まつ」でも、導入部の「まつ」と終結部の「まつ」では意味が違う。

 がまくんは自分にお手紙が来ることを期待し、毎日それを待っている。しかしながら、お手紙は来「ない」のだ。「ない」お手紙は、がまくんにとっては「ない」どころが、「ない」ことでもってますます大きな意味をもつようになる。
(「ないことにまつわるふしあわせとしあわせ」跡上史郎)

☆上記の跡上先生の文章を受ける形で書くと
がまくんは自分にお手紙が来るこを期待し、毎日(四日間)待っている。そしてお手紙は確実に来るのだ。それどころか、素晴らしい内容で「ある」ことを知っているのだ。お手紙は、がまくんにとっては「ある」どころが、確実に手紙が「ある」こと(存在していること)、そして内容も自分にとって意味が「ある」ことでもってますます「まつ」ことが喜びの意味をもつようになる。(重藤)
と言ったことになるだろうか、、、、。

 蛇足だが、かたつむりくんは四日もたってついたときに二人へ何といったのだろうか?それを想像せずにはいられない。
私には、きっとかたつむりくんは、
「どうだい、はやかったろ」
程度のことを言って、二人を笑わせたように感じるのである(かたつむりくんはもちろん大まじめ)。
そして二人は
「いや~おそかったね~。おかげで四日も楽しめたよ。」
みたいな事を言いそうな雰囲気を持った物語に感じるのだ。

「お手紙をもらって、がまくんは、とてもよろこびました。」
かえるくんからの話で、すでに「しあわせな気持ち」になっていたがまくんだったが、実際に手紙をもらって「とてもよろこびました。」もちろん、それを見ていたかえるくんも喜んだことは想像に難くない。
こうしてハッピーエンドになり、幸せな気持ちのまま、二人は再び冬眠に入るのであろう。
これがこの『ふたりはともだち』のエピローグになっている。

★『お手紙』の季節は?

『ふたりはともだち』の
1『はるがきた』は、文字通り春のエピソードである。
2『おはなし』は、夏のエピソード。
3『なくしたボタン』は、「大きなくさはら」「せのたかいくさのあいだを」「すずめ」「あらいぐま」などの表現から夏。
4『すいえい』は夏。
という組み立てになっている。
そして最後の『お手紙』は、文からは直接は季節がわからない。がまくんが物思いにふける点からは「物思いの秋」を連想はさせる。絵を他のエピソードと見比べてみると、花や草の背丈が低いように感じられる。秋と言いたいところだが確証はない。しかしこの本の組み立ての流れからは(冬眠の目覚めから、冬眠の前までの話)、秋だと想像はできる。


★終わりに
 これまで4回に渡って、この「お手紙」を長々と書いてきた。
今回は、書きながら、書いた分をその都度このブログにアップするという方法をとった。そのために、誤字脱字はもとより(誤字脱字等は気づいた時点で修正しているが、、、)、肝心の「読み」においても、少しねじれが生じている部分があるかもしれない。また、書きたりなかった部分もある。
それは、このような聞き方(分析風とでも言うのか?)が初めてだったこともある。
 なにより、書き始めた時に見ていた景色と、最後に見えた景色が少しだけ違う景色のように感じている。そのことについては、いつもの様に「叩き台として」という言い訳を付け加えておきたい。

2013年8月1日木曜日

「お手紙」その3

「お手紙」その3(山場の部)

★ここまでをまとめてみると
 がまくんは、玄関に座って自分から手紙を出してみるなどはせずひたすら待つだけで、しかも手紙がこないことにただ悲しみあげく怒っている。甘えん坊で、幼い人物像が読み取れる。しかも、よくよく考えると毎朝手紙を待つ時間を決めているというのは、そうとう変わり者だと言えそうである。どちらかと言えば偏屈な感じもある。
一方のかえるくんは、そんな悲しそうながまくんをほっとけない、優しいとともに少しお節介で、そそっかしい感じがする人物像である。そして、二人とも幼く、少し愚かさもある。

さて、いよいよ山場の部である。
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「かえるくん、どうして、きみ、ずっとまどの外を見ているの。」
がまくんがたずねました。
「だって、今、ぼく、お手紙をまっているんだもの。」
かえるくんが言いました。
「でも、来やしないよ。」
がまくんが言いました。
「きっと来るよ。」
かえるくんが言いました。
「だって、ぼくが、きみにお手紙を出したんだもの。」
「きみが。」
がまくんが言いました。
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★謎 なぜかえるくんはお手紙を書いたことを話してしまったのか?
 さすがのがまくんも、かえるくんが何度も窓の外を見ていることに気づいてしまう。それどころかかえるくんは、「だって、ぼくが、きみにお手紙を出したんだもの。」とあっさりと自分が手紙を出したことをばらしてしまう。いかにもそそっかしいかえるくんらしい行動とも言える。幼さだとも言える。

しかし、ただそそっかしい、幼いということとは少し違うような感じもする。どちらかと言えば、教えたくてしかたない。出し惜しみしながら、焦らしている、そしてそれを楽しんでいるようにも読めるからである。それは、この場面の前、展開部の二人のやりとりから続いているようにも思える。「お手紙をまっているんだもの。」「お手紙を出したんだもの。」という言い方からも、しかたなく言っているようでもなく、思わず漏らしたようでもない。どちらかと言えばそれでを楽しんでいるように感じられる。ひょっとすると、話したくてしかたないのかもしれないと思える。黙っていることを我慢できないように感じられるのである。

 もちろん、がまくんには、自分が手紙を出したことを黙っていて、よりサプライズ的にする方が、よりがまくんを喜ばせることができる。しかし、はやくがまくんにそのことを、自分が手紙を出したことを言いたくてしかたない。
これは、前者の方が、より優しいとか、思いやりがあると言いたくなりそうだが、しかし、そうではないのだろう。先にかえるくんの人物像を「お節介」と書いた。「お節介」と「親切」(この場合「思いやり」と言い換えてもいいが)は、やはり紙一重なのだ。それは、ある絶対的な基準があるわけではなく、「する側」と「される側」の微妙な関係の中でどちらにもなり得るものなのだと言える。二人の関係性の中に基準(?)があるのだと言える。もちろん二人のキャラクターにも関係していることは言うもでもない。そしてなにより、その「お節介」がもたらした結果、それをされた側の気持ちが決定することなのだと言える。
だとすると、この後の二人の気持ち、とりわけがまくんの気持ちが快なのか不快なのかを考えると、かえるくんの行為は、決してお節介ではなかったと言えそうである。前の場面から続き結末まで続く二人のやりとり、そこからは、二人の関係性、名(迷)コンビぶりをこそ読みとるべきことだと言える。それがこの物語のテーマの一つだと言えそうである。(「お節介」=「悪」だと言っているわけではない。)

 さてこの場面、お手紙を待っていたのはがまくんである。しかし、この場面でお手紙を待っているのはかえるくんになっている。そこもまた、この物語の面白さである。

続きをみてみよう。
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「お手紙に、なんて書いたの。」
 かえるくんが言いました。
「ぼくは、こう書いたんだ。ぼくは、きみがぼくの親友であることを、うれしく思っています。きみの親友、かえる。」
「ああ。」
がまくんが言いました。
「とてもいいお手紙だ。」
それから、ふたりは、げんかんに出て、お手紙の来るのをまっていました。
 ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。
長いことまっていました。
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 いよいよクライマックス場面である。ここでは、手紙を出したことだけでなく、その文面まで教えてしまっている。それはなぜか?これも、先に述べたとことと同じなのだろう。

★親友の謎を考える(「親友」という言葉に込められたかえるくんの思い)
★手紙の内容(文面)を考えてみる。
「ぼくは、きみがぼくの親友であることを、うれしく思っています。きみの親友、かえる。」
これが文面である。
この手紙は、何を言いたいのか?
「親友」だと言うことを伝えたいわけではない。「うれしく」思っていることであろう。(序列的に)
それは、「ぼくは、君の親友です。」とどう違うかを読み比べてみることではっきりする。がまくんのことではなく、かえるくんは自分自身のことを、自分自身の思いを言いたいのである。
「だれもぼくにおてがみなんかくれたことがないんだ。」(冒頭場面)、「ぼくにてがみをくれる人なんているとはおもえないよ。」(これは手紙を書いた後のセリフであるが、友達であるかえるくんは理解していた。)の答えとして「君には、ぼくがいるじゃないか」だから元気出せ、ではなく、「ぼくには、きみがいるんだ」それが「うれしい」ありがとうと言っているのである。がまくんがいてくれてうれしい。がまくんがぼくの親友でよかった。と言ったことだろう。かえるくんの優しさが感じられる文面になっている。
 かえるくんは、がまくんのこと(思い)を本当によく理解していることを読み取ることができる。だから、がまくんは「ああ」と感嘆の声を思わずあげたと言える。だから、「とてもいいてがみだ。」と素直な気持ち(感想)を言えたのだろう。

★二人の関係について
 二人の関係は、どちらかというと、ドジで変わり者のがまくんを親切にお世話するかえるくん、といった構図である。その関係の中で、がまくんは多少劣等感を持っている(それがスネた言動になっている)と思われる。それが、冒頭のがまくんの行動(玄関前にわかりやすい表情で座っている。かえるくんがなだめても、ふてくされたような返事をくり返す)に表れている。
しかし、先の文面からするとかえるくんにとってがまくんは、けっしてお世話してあげる人ではなく、なくてはならない唯一無二の存在だということがわかる。それが「親友」という少し改まった言葉だと言える。 これは、かえるくんの本音なのだろうか?という疑問がわいてくる。
「かえるくんは、おおいそぎでいえへかえりました。えんぴつとかみをみつけました。かみになにかかきました。かみをふうとうにいれました。」からは、熟考した様子は見受けられない。思ったことを、言い換えると常々思っていたことを書いたようにみえる。

★『ふたりはともだち』から
 実はこの「お手紙」という物語は、『ふたりはともだち』をいう本の5つのエピソードの最後に納められているエピソードである。(私の手元にあるのは「文化出版局 ミセスこどもの本」 アーノルド・ロベール作 三木 卓訳『ふたりはともだち』 発行所学校法人 文化学園 文化出版局)
 1つ目のエピソード『はるがきた』では、4月になっても冬眠から起きないがまくんに春のすばらしさを伝える(二人で感じて喜ぶ)ために、がまくんをなんとか起こそうとする話。
 続く2つ目のエピソード『おはなし』は、体調を崩したかえるくんが、がまくんに何かお話をして欲しいと頼む。そこでがまくんは、あれこれとお話を考えるのだがどうにも思い浮かばず、最後は壁に頭をガンガン打ち付けてまで考えるだが、結局思いつかない。それどころか、頭を強く打ったためにがまくんが体調不良になってしまう。そこでこんどはかえるくんが、がまくんにお話をしてあげると申し出、今自分のために悪戦苦闘するがまくんの姿を話す。しかし、がまくんは途中で眠ってしまうのである、、、。
 3つ目『なくしたボタン』、4つ目『すいえい』の内容は省略するが、どれもちょっと間抜けでドジながまくんと、そんながまくんを優しく機転が利くかえるくんがお世話するという、なんともほのぼのとしたお話が続くのである。
 しかし、決してかえるくんはがまくんに対してお世話している風ではない(私ははそう読めた)。がまくんが好きでたまらない感情が、全編から伝わってくるのである。そしてその最後のお話として『おてがみ』が綴られているのである。
 それを理解すると、かえるくんががまくんに出した「お手紙」の文面は、決して嘘や誇張、同情などというものではないことが分かる。かえるくんにとって、がまくんは大切な「唯一無二の存在」=「友達」なのである。
★なぜ教えてしまったのか再考
 そう考えると、「なぜ教えてしまったのか?」という謎の答えもみえてくる。「伝えたくてしかなたかった」のだろう。言いたく言いたくてしかたなかったのであろう。そう考えるとすっきりとすると私には思えるのだが、、、、。そして、それに気づいていないのは、がまくんだったのだろう。
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 それから、ふたりは、げんかんに出て、お手紙の来るのをまっていました。
 ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。
長いことまっていました。
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「ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。」は
「ふたりともかなしいきぶんでげんかんのまえにこしをおろしていました。」(冒頭部分)
に対応している文である。
★「ふたりとも」の謎
 なぜ、「ふたりとも」なのか? なぜ「かえるくん」もしあわせな気持ちになったのか?がここの謎である。
これまで読み取ってきたことから、4つのことが考えられる。

 まず1つ目、なによりかえるくんが喜んでくれたからであろう。そして2つ目、かえるくんは自分の思いを伝えられたから。だから「ふたりとも、とてもしあわせな気持ち」になれたのだろう。
 3つ目は、自分の思い(手紙の内容=がまくん親友でいてくれたことがうれしい)をがまくんがうれしく思ってくれた=受け入れてくれた=がまくんも同じ気持ちだ=気づいてくれたからであると思われる。
 最後の4つ目は、その手紙がもうすぐ来ることである。それを二人で一緒に、待てるからなのだろう。
 かえるくんは、大好きながまくんとなんでも一緒にしたいのである。そして今待っている「お手紙」は、二人をうれしい気持ちにしてくれることが分かっているのである。うれしい気分で一緒に「まだかな、まだかな」と待っていられるのである。
 
 実はかえるくんは、他のエピソードの中でも、いつもがまくんと一緒に行動しよう、いっしょに楽しもうとしていることがわかる。下の場面は、『ふたりはともだち』の最初のエピソード『はるがきた』の一節である
4月になっても冬眠から起きてこないがまくんを、かえるくんが起こそうとする場面である。

(前略)
「つまり、ぼくたちのあたらしい一ねんがまたはじまったってことなんだ。がまくん。そのことをおもってごらんよ。」
かえるくんがいいました。
ぼくたち、くさはらをとびはねながらとおりぬけられるよ。森をかけぬけることもできるし、川でおよぐこともできるんだぜ。ばんにはいまいるげんかんのまえにいっしょにすわっておほしさまのかずをかぞえるんだ。」
「かえるくん、きみがかぞえればいいさ。」がまくんがいいました。
(中略)
それじゃ それまで、ぼく さびしいよ。」がまくんはへんじをしませんでした。もうねむっていたのです。
(後略)

 上記からも、かえるくんは、何でもがまくんと一緒にしたがっていることがわかる。それはがまくんが大好きで、その大好きながまくんと一緒にした方が楽しいと言うことをわかっているからであろう。
「それじゃ それまで、ぼく さびいよ。」
ここからは、かえるくんにとって、いかにがまくんが大切な存在である「唯一無二の存在=親友」であるかがわかる。だから、一見「お節介」に見える行為も、そうではなく本当友達として助けたいと言った気持ちからなのだということがわかる。そこには、二人の関係が、決して「縦位置の関係」ではなく、「横並びの関係」であることがわかる。
そして、どちらかと言えば、相手のことが好きだと、相手が唯一無二の存在だと終始理解しているのはかえるくんなのである。『ふたりはともだち』のエピソードからもそのことは読み取ることができるし、この『お手紙』からもわかる。分かっていないのは、というか無自覚なのは実はがまくんの方なのである。
がまくんは、この『お手紙』というエピソードの中のかえるくんからの「お手紙」の文面で、ようやくそのことに気づいたのである。自分にとってもかえるくんは唯一無二の存在なのだと。

★『ふたりはともだち』の中での『お手紙』
A『ふたりはともだち』
の中の『はるがきた』
そういう意味で、この『お手紙』というエピソードは、『ふたりはともだち』の最後に納められており、その『お手紙』の最後の場面でようやくがまくんはかえるくんが親友だと気づいたという仕掛けになっているのである。『お手紙』が最後のエピソードになっているのは、そういう意味なのだということがわかる。この場面の挿絵ではじめて二人は肩を組んでいるのは、そういう意味なのだろう。(肩をくんでいる絵は『ふたりはともだち』の中で、2カ所である。
 Aは、1番目のエピソード『はるがきた』で、かえるくんが無理矢理がまくんを起こそうと、玄関まで連れてきている絵。この絵では、肩に手を回しているのはかえるくんだけ、がまくんは眠そうな目をこすっている、迷惑そうにしている絵で
B『ふたりはともだち』
の中の『お手紙』
ある。

Bはこの最後場面の絵である。①二人はお互いに腕を肩に回している。②表情はにこやかである。③かえるくんは何かを話しているようにも見える。④それはかえるくんの肩を組んでな
い方の手のしぐさからも想像できる。

C『ふたりはともだち』
の中の『お手紙』
★Cの絵について
 ところで、『お手紙』の冒頭「ふたりともかなしいきぶんでげんかんのまえにこしをおろしていました。」の絵Cは、二人でお手紙を待っている絵と同じように見えるが、①肩をくんではいない。それぞれ両手の指を体の前で所在なさげに組んでいる(?)。②表情が悲しそうである。③口をへの字に結んでいる。④二人の心情を表現するかのようにバックの花などの色が(二人の絵も色が)薄い。などの違いがある。絵本である以上、子どもたちには、これらの絵からも読み取らせたいものである。

 こうして『ふたりはともだち』という本の中で、最後の最後に『ふたりはともだち』になったことがわかる。

なんともよくできた本だと私には思える。

※お借りした絵は、
文化出版局 ミセスこどもの本 アーノルド・ロベール作 三木 卓訳『ふたりはともだち』 発行所学校法人 文化学園 文化出版局 
からです。

2013年7月30日火曜日

「お手紙」 その2

「お手紙」その2(展開部)

 さて、展開部である。
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 かえるくんは、大いそぎで家へ帰りました。えんぴつと紙を見つけました。紙に何か書きました。紙をふうとうに入れました。ふうとうにこう書きました。
「がまがえるくんへ」
 かえるくんは、家からとび出しました。知り合いのかたつむりくんに会いました。
「かたつむりくん。」
かえるくんが言いました。
「おねがいだけど、このお手紙をがまくんの家へもっていって、ゆうびんうけに入れてきてくれないかい。」
「まかせてくれよ。」
かたつむりくんが言いました。
「すぐやるぜ」
それから、かえるくんは、がまくんの家へもどりました。
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★伏線
 この場面では、2つの謎がクライマックス場面への伏線となっていることがわかる。
 1つは、「お手紙」の中身である。
「かえるくんは、おおいそぎで・・・」から「・・・~ました。」「ました。」が続く書かれ方からは、かえるくんが、迷ったり、悩んだり、考えたりせずに、素早く手紙を書いているように感じられる。かえるくんのがまくんに対する思い、人のよさが読み取れる。そして封筒の表に「がまがえるくんへ」と書く。ここは読み手である読者へ、手紙の内容に興味を持たせているところである。

 2つ目の謎は、なぜかたつむりくんだったのか?ということである。謎であるとともに、面白いところでもある。
かえるくんが、こんなにも急いで帰り、あわてて手紙を書いた理由は、一刻も速くがまくんにお手紙を届け、悲しんでいたがまくんに、喜んでもらいたかったからにほかならない。
ところが、かえるくんが手紙を託した相手は、かたつむりくんであった。かたつむりと言えば、その進む速さはゆっくりである。この「ゆっくり」がクライマックスの伏線になってくる。
まず、自分でがまくんに届けるという方法もあったはずである。もちろん、それは、がまくんが言うところの「お手紙」は、単に封筒に入った手紙ということではなく、郵便として、差出人(今回はかえるくん)がいて、配達人(かたつむりくん)が運んで、それを受け取るという(第三者の介入・公的な社会的な制度・大人社会)ことだということをかえるくんも分かっていたからに他ならない。
かたつむりくんに頼んだのは、偶然だったのか、必然だったのか?
もし偶然なら後の展開を考えると、ものすごく幸運だったと言える。もし最初から「かたつむりくん」に頼むことを考えていたとしたら、後の展開はかたつむりくんの意図通りだと言える。「知り合いのかたつむりくんに会いました。」であるから、偶然出会ったとも読めるし、訪ねて会ったとも読める。流れ的には、偶然に出会ったと読める。かえるくんが家を出て最初に出会ったのが、かたつむくんだったいうことだろう。
それにしてもかえるくんは、かたつむりくんが遅いということを考えなかったのだろうか。それは、かたつむりくんがゆっくりだと言うことに、気づかないくらい一生懸命であったのだろうと考えられる。ここから読み取れるかえるくんの人物像は、そそっかしく、あわてものもだと言える。もちろんそれは、がまくんを一刻も速く喜ばせたいということであるから、友達思いであり、優しいということの裏返しでもある。なんとなくほのぼのとした人の良さも感じられる。この人の良さ、そそっかしさが、二人で手紙を待つという、何とも言えない喜びの時間をもたらすことになるのである。
 そして、それを受け取るかたつむりくんのセリフ「すぐやるぜ」も、なんとも間が抜けているというか、面白いセリフである。

かえるくんのそそっかしさは、次の場面でも読み取ることができる。
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 がまくんは、ベッドでお昼ねをしていました。
「がまくん。」
かえるくんが言いました。
「きみ、おきてさ、お手紙が来るのを、もうちょっとまってみたらいいと思うな。」
「いやだよ。」
がまくんが言いました。
「ぼく、もうまっているの、あきあきしたよ。」
 かえるくんは、まどからゆうびんうけを見ました。かたつむりくんは、まだやって来ません。
「がまくん。」
かえるくんが言いました。
「ひょっとして、だれかが、きみにお手紙をくれるかもしれないだろう。」
「そんなこと、あるものかい。」
がまくんが言いました。
「ぼくにお手紙をくれる人なんて、いるとは思えないよ。」
 かえるくんは、まどからのぞきました。
 かたつむりくんは、まだやって来ません。
「でもね、がまくん。」
かえるくんが言いました。
「きょうは、だれかが、きみにお手紙くれるかもしれないよ。」
「ばからしいこと、言うなよ。」
がまくんが言いました。
「今まで、だれも、お手紙くれなかったんだぜ。きょうだって同じだろうよ。」
 かえるくんは、まどからのぞきました。
 かたつむりくんは、まだやって来ません。
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 がまくんをびっくりさせるのであれば、黙っておいて驚かせるのが効果的でありセオリーである。しかし、かえるくんは、だまって待つということができず、がまくんに期待させようとするのである。かえるくんは、がまくんが喜ぶ姿を見たい気持ちを抑えられないのだろう。
ここからは、かえるくんのそそっかしさとともに幼さ、幼さから来るであろう(言い方は悪いが)ある種の愚かさと同時に人の良さも感じられる。

 一方で、がまくんは、ふてくされているままである。いい加減気づいてもよさそうなものである。あるいは、「なんでそんなこと言うの?なんでそう言えるの?」と問いただしてもよさそうである。がまくんの悲しさ、怒りがそれほど大きいとも言える。またここにも幼さが感じられるし、幼さから来る愚かさも感じられる。

 かえるくんは、まどからのぞきました。かたつむりくんは、まだやって来ません。そして二人の3回のやりとりの間に、かえるくんは、3回もまどのそとを見ている。かたつむりくんが来るのを今か今かと待っているかえるくんのはやる気持ちがわかるところである。
他の文末が「ました。」であるのに対して、「まだやって来ません。」となっている。「まだやって来ませんでした。」ではない。ここだけが断定的で言い切りになっているところにも着目したいところである。

 この場面の二人のやりとりは、大変楽しく、おもしろい場面になっている。この場面、読み手によって
「あ~ばれちゃうよ~」「なんでそんなこと言うんだよ~」あるいは「教えてあげればいいのに~」
「なんでがまくんは気づかないんだ~」
「カタツムリ君遅いよ~」「だからカタツムリ君なんかにたのむからだよ~」
「この二人、なんだかおもしろ~い。」
はらはらする子もいれば、笑ってしまう子もいるだろう。中にはイライラする子もいるかもしれない。子どもによって、様々な反応が予想される。
二人のキャラクターと、そのぶつかりそのものが面白いところである。名(迷)コンビと言える。
それと同時に

「がまくん。」(3回目だけ「でもね、がまくん。」)
かえるくんが言いました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」(強い拒否)
がまくんが言いました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」(理由というか、、、) 
 かえるくんは、まどからゆうびんうけを見ました。かたつむりくんは、まだやって来ません。

パターンの繰り返しであり、その繰り返しの面白さ(書かれ方・文体)などが面白さの要因となっている。

2013年7月27日土曜日

おおきなかぶ 

「おおきなかぶ」まず教材について

「おおきなかぶ」の教材の変化・成り立ちついては、静岡大学教育学部研究報告『「おおきなかぶ」の日本への紹介と変容-成立』に詳しい。
(以下当ブロブが面白いと思ったところを抜粋。なお、この論文では、ここでは取り上げないが、最初に日本へ紹介された初版訳から紹介されており興味深い論文である)
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前略)ロシアにおける昔話の主人公は圧倒的におじいさんとおばあさんであるらしい。おじいさん(ヂエートカ)、おばさん(バープカ)とならんで、まごむすめ(ヴヌーチカ)となり、子犬(スーチカ)も、語尾に同一の接尾語を持つことから、問題の「かぶ」も、レーパという一般的な名詞ではなく、レープカという語が選ばれるという。しかもこれらはすべて語頭にアクセントがある上に、二音節で表現れる。語りだしの『お爺さんが種をまきました』という文章は、『蕪』と『お爺さん』の語呂合わせによって生まれたのだ。『男は度胸、女は愛嬌のようなものである」(中略)
そして、このお話は一人ずつ登場人物が増えて、同じ行為を繰り返す「累積民話(昔話)」であり、ロシアの民話には多いタイプであるという。そのため、語り口調は、二拍子のアクセントが規則的に並び、強弱の繰り返しというリズムが生まれる。
こうした「累積民話(昔話)」は、鎖状につながったものが切れて、もとの状態に戻る、ことが重要なのだそうである。(後略)
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※「おおきなかぶ」の訳・絵本・教材には様々なものがある。絵本で確認をすること、読み比べてみることも研究する上では大切であると思う。内田莉子訳が有名であるが、教科書版の西郷竹彦訳との違いは様々に研究されてきている。どちらが優れているのかは何とも言えないが、ここでは、あくまでも教科書版(光村)を絵本的に取り上げ考察していくこととする。

★「おおきなかぶ」教材研究

一年生1学期の有名な教材である。
まずは、表層よみから。
学年が下がれば下がるほど表層よみを重視していかなければならない。特に音読は、繰り返しさせたいものである。必要なら劇化もさせる(ここでは、劇化については述べないこととする)。しかし、ここではあくまでも「読み」の領域として教材研究を進めてみたい。

0, 表層

最初は「表層よみ」である。
範読・音読
ここでは、まず範読することで、子どもたちを物語りの世界へ導きたい。そのためにリズムをつけてテンポ良く範読したい。
音読は、一文ずつオウム返しに音読させたり、場面ごとに音読させたり、役割交代しながら読ませたりと、子どもたちが飽きないような工夫も必要。
そして何よりこの作品のよさ、面白さは、リズムである。だとすると、十分に音読をしリズムの面白さを体験させることは重要な学習であると言える。
※音読してみると、以外とリズムがとりにくいように私には感じられる。そこが西郷訳への批判の一つになっている。

言葉の学習
 次に言葉について学習を進める。わからない言葉があれば子どもたち質問させたりする。以下の言葉については、読みを進めるために知っておかなければならない言葉である。これらは、たとえ子どもから出されなくても、教師から取り上げて指導していく。(教師の取り立て指導と呼ぶ)
 まず「かぶ」についてである。教科書に絵があるので、子どもたちから出されないかもしれないが、「かぶ」は、クラスの全部の子どもたちにとっては身近な存在とは言いがたい。そこで、教科書の絵はもとより、写真や実物などを使って教えたい。
 「かぶ」は中央アジア原産、弥生時代から日本にもあったそうである。日本では3~4月まき時。40~60日で収穫できる。しかし、ここで言う「かぶ」は、日本で認識しているそれとは違うようである。サークルの仲間が調べたところによると、ロシアの「かぶ」は本当に甘いそうである(食べてみたいものである)。しかも、ロシアの多くの家庭で食されている「ボルシチ」に欠かせない食材らしい。
そうだとすると、私たちが抱いている感覚と全く違った感覚であろうと思われる。より身近で、より大切な食材なのだろう。このことを子どもたちに分かるように、分かる範囲で教える必要がある。
また、普通の「かぶ」おおきと比較することで、この「おおきなかぶ」が、文字通りそうとうの大きさのかぶ、文字通り「おおきなかぶ」でことがわかる。
 次に結末に出てくる「とうとう」という言葉である。辞書によると「(副)ついに、結局(広辞苑)」だそうである。ここでは、「とうとう」を使って単文作り(発表させればいいと思う)をさせたい。
この他「まご」についても、理解していない子がいる場合は理解させる。また「おじいさん」「おばあさん」については、一般的なイメージ、例えばお年寄り、優しい、、、程度の共通理解をさせたい。

1, 構造よみ

中学年以降であれば、ここで「構造よみ」へと進む。しかし1年生の1学期、最初の物語である。そこで、「構造よみ」へつなげていくためのステップとしてここでは「起こったこと調べ」と「変わったこと調べ」をする。これらは、子どもたちに、「物語(事件)の流れ」や「プロット」を掴むための視点などを育てることが目的である。それらの視点は、後の「構造よみ」につながるものでもある。
また、「登場人物(主人物・副人物)」の確認(一年生ということで、『主人公』という言葉で教えてもいい)なども行う。

どんなことが起こったかな?(起こったこと調べ)
・おじいさんがかぶのたねをまいた
・かぶがおおきくなった
・おじいさんがかぶをひいたけど、ぬけなかった。
・おじいさんは、誰を呼んできたの?  なぜよんだの?(以下同様)
・おじいさんがおばあさんをよんで、かぶをひいたけど、ぬけなかった。
(以下同様)
一問一答形式でいいので、質問しながら流れをつかませる。誰が、誰をよんできたのかをはっきりさたい。

物語の中で変わったことは?(変わったこと調べ)
・一人ずつ増えていく。
・一人→六人
・くる人(動物)がだんだん小さくなる。力が弱くなる。
・だんだん疲れてくる=力が入らなくなる。
・「ぬけません」→「とうとうぬけました。」
・種→おおきなかぶ
・けれども→それでも→やっぱり→まだまだ→なかなか
特に最後の「けれども」→「それでも」→・・・は、行為ではなく表現の変化であるため、子どもたちから出させるのは難しい。そこで「同じ言い方のくりかえし」が続くことを気づかせ、その中で変化している言葉に着目させるなど、工夫が必要だと思われる。またの「面白いところ」を終えてから、「繰り返しの中の変化」に着目させてもいいかもしれない。

出てくる人は、何人?誰?(主人公という言葉の指導)
六人(動物も、人物としてあつかう) おおきなかぶ
主人物は誰であろう。おじいさんか? だとすると副人物は残りの5人ということになる。

この物語の面白いところは?
A繰り返しの面白さ
1「うんとこしょ、どっこいしょ。それでもかぶはぬけません」のセリフの繰り返し
2一人ずつ増えていくが、同じ行為をくり返していくところ
B一人ずつ増えて、同じことをくり返すところ。
 1おじいさん
 2おじいさん、おばあさん
 3おじいさん、おばあさん、まご
 4おじいさん、おばあさん、まご、いぬ
 5おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ
 6おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみ
C引く人がだんだん小さくなるところ。
D最後に一番小さなねずみがひいたらぬけたところ。(おち)
以上のようなことが考えられる。自由に発表させたい。この他が出されても、共感的・肯定的に取り上げていく。

2, 形象よみ

★導入部と終結部を中心に読み進める。その際、文章だけでなく、絵を手がかりとして読んでいく。一年生ということもあり、助言を多用しながら進めていく。(よってここでは、助言のヒントとなるような指導言を入れながら進める。)
光村図書教科書よりお借りしました

① 時(絵から季節を読む)
季節はいつかな? 絵の何を見たらわかると思しますか?=おじいさんの服装=長袖、生地も厚そう。
→だから、夏は半袖だから、夏じゃないよ。冬だよ。
→長袖を着るのは冬だけかな?
かぶの種をまく時期はいつ頃か知ってる?=春(日本では3~4月)  40日~60日で収穫

② 場
ここはどんな場所かな?絵をみて考えて?
家の様子→山小屋みたいな家。日本の家とはちがう。=外国
回りに他の家がない=いなか
広い畑がある
 木は見えないから森ではない。高原?
中心に読み取らせたいのは、人物である。時・場は、確定する要素はない。そこで時・場については軽く扱うか、時には省略してもいいと思う。

③ 人物
★おじいさん・・・男、年寄り
◎絵からわかること
白いひげが長い=お年寄り
手を見てごらん。手や指からわかることは?=手のしわ、指の関節が太い→働き者。力が強そう。お年寄り
顔の色が赤い=日に焼けているのかな→働き者。農夫。白人(日本人ではない)
種のまき方=腰をまげている→粒一粒丁寧に種をまいている。
おじいさんの服からわかることはない?
=ながい上着。服が汚れている。破れている。布施。帽子(ハット)。日本の服とちがう。作業するための服。
=ふせをして使っている→貧しそう。物を大事にしている。
=作業をするための服→きっとおばあさんがしてくれたんだよ→優しいおばあさんじゃないかな
Aおいいさんの気持ちは?一生懸命。大事に育てよう。
Bおじいさんはどんな人?働き者
        
◎セリフからわかること
・「あまいあまいかぶになれ」「あまいかぶになれ」とどうちがう?
おじいさんのあまいかぶになって欲しいという気持ちが強いのがよくわかる。
・「おおきなおおきなかぶになれ」「おおきなかぶになれ」とどうちがう?
・おじいさんは、なぜかぶの種をまいたのだろう?
※以下同様に絵を中心に人物形象を読み取る(おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみ)
光村図書よりお借りしました
★まご・・・教科書の絵では、まごは笑顔であり、あきらかに面白がっている。楽しんでいると言ってもいい。
→まごは、おじいさんやおばあさんと一緒にかぶをぬくのが楽しい。
いかにも子どもらしい反応だと言える。
→まごは、おじいさんやおばあさんが大好き。
★出てこない人物・・・まごの両親。

④ 事件設定 
・おじいさんは何をしましたか?わかる文に線を引きましょう
おじいさんが、かぶのたねをまきました。
・その種はどうなるのですか?
あまいあまい、おおきなおおきなかぶになりました。
・どのくらい「おおきなかぶ」になりましたか?
おじいさん一人では、ぬけないくらい。だから、おばあさんたちをよぶのですね。
※「事件設定」という言葉を教える必要はない。人物の読みの流れで、読んでいく。

⑤ 話者
(外の目)省略してよい。

⑥ 最後の一文
A「とうとう かぶは ぬけました。」
(ついに かぶは ぬけました。)→話者がぬく側に寄り添っている。「やっとぬけた」
(けっきょく かぶは ぬけました。)→抜けたことに対して、否定的な感じがしないか?
「とうとう」に違和感はないか?
B「とうとう かぶ ぬけました。」「とうとう かぶ ぬけました。」の違いは?
なぜ「は」なのか?「が」とどう違うのか?
「ぬけてしまった」的な感じがどうしてもするのですが、、、、深読みしすぎか、、、。
※ここも流れの中で、、、、。

3, 主題へのアプローチ

① 一文で書いてみよう(~が・・・によって〇〇した話)
おじいさんが、おばあさんやまごやいぬやねこやねずみと一緒におおきなかぶをぬく話。
おじいさんが、おばあさんやまごやいぬやねこやねずみに助けられて(ちからをかりて)おおきなかぶをぬく話。

② 題名よみ
・「おおきなかぶ」意外に考えられる題は「おじいさんと仲間たち」どうちがうのか?
題名からわかることは、物語の中心は「おおきなかぶ」だということ。登場人物に名前がない、個性が特にないことからもそう考えられる。だとすると最後の一文は、「ぬけてしまった」的な意味がないこともないのかなと、、、。はやり深読み過ぎか、、、、。

③ 物語に関わる疑問?
・この後かぶをどうしたのか?
・かぶが象徴するものは?(これは一年生には無理か?)
・なぜかぶは一つか?他のかぶは?だから貴重なのか。考えすぎか。
・いぬやねこやねずみはなぜ手伝ったのか?「面白そうだから」と読むべきか?
・なぜ名前がないのか?
・お父さん、お母さんはどうしたのか?
※読む際に、なにより大切にしたいことは、子どもたちが「?」を浮かべることができるようにしていくことだと思う。それが物語の面白さに繋がるし、読み深めるヒントになるからである。子どもたちの「?」には、答えが出ないものもあると思う。それはそれとしてオープンエンドの話し合いでよい。

④ 好きなことろは(いいな、気に入った)、どこですか?理由も言いましょう。

⑤ いやだなと思うところはどこですか?理由も言いましょう。
※⑤は批評へのアプローチのつもりだが、④まででいいのかもしれない、、、。

2013年7月26日金曜日

「お手紙」その1

「お手紙」その1 謎を追究する面白さを

「お手紙」は謎の多い物語である。この物語はちょっと変わった始まり方をしている。
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がまくんは、げんかんの前に、すわっていました。
かえるくんがやって来て、言いました。
「どうしたんだい、がまがえるくん。きみ、かなしそうだね。」
「うん、そうなんだ。」
がまくんが言いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★これは、「お手紙」の冒頭部分の一節である。
 まず「がまくんは、げんかんの前に、すわっていました。」からして謎である。玄関の前に座るということは、あまり見かけない行為である。なぜわざわざ玄関の前に、座っていたのか?
しかも、「悲しそうな顔」をしているのである。やってきたかえるくんはあきらかに知り合い、いや友達。普通なら、「おはよう・こんにちは」とか「やあ」とかお互い挨拶をかけ合いそうなものである。しかし、やってきたかえるくんはいきなり「どうしたんだい」と問いかけている。それほど悲しそうな顔=雰囲気を、がまくんは醸し出していたと考えられる。言いかえると、がま君は、誰にでもわかりやすく、もっと言うと「これみよがし」に自分の悲しさを訴えていたのである。
「うん、そうなんだ。」かえるくんの問いかけにがまくんは答える。やはり誰かに聞いて欲しかったのであろう、即答しているようにみえる。普通なら無言の場面である。このやりとりから読めるがまくんの人物像は以下のようなものであろう。

幼い。(がまくんの見え見えの雰囲気は、いかにも幼い子どもがとりそうな行為である。)
それは「甘えん坊」だとも言える。
あるいは、わがまま。(これは、年齢的なものなのか、性格的なものなのかは判別できない)
そうとう深刻な出来事ががまくんの身にふりかかった。(謎。読者を引き込むしかけになっている)

この他、いくつかの疑問や謎もある。
果たしてがまくんは、かえるくんが視界に入る前から悲しそうな顔をしていたのか?
もしそうだったとしたら、他の人はがまくんに声をかけたりしなかったのか?それはなぜか?
かえるくんが視界に入ったので、悲しそうな顔をしたとすると、それはなぜか?

もし③であるとすると、そこからがまくんの人物像や二人の関係が読めてくることになる。
また、これは絵本でる。絵から読めるがまくんの人物像もある。また「がまがえる」であるから、あまり動かない、動きが遅いところから、のっそりした感じ、ぼーっとした感じなどがわかる。(くわしくは省略)

★さて冒頭部分をさらに読み進めてみよう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今、一日のうちのかなしい時なんだ。つまり、お手紙をまつ時間なんだ。そうなると、いつもぼく、とてもふしあわせな気もちになるんだよ。」
「そりゃ、どういうわけ。」
かえるくんがたずねました。
「だって、ぼく、お手紙、もらったことないんだもの。」
がまくんが言いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なんとも理屈っぽい言い回しである。また「かなしい時なんだ。」「つまり」「時間なんだ。」「そうなると」などという言い方を、話し方を、がま君は普段からしているのだろうか?
このセリフから、がまくんは、理屈っぽく、少し変わった子(子だとして)だと言えそうである。また、「ふしあわせな気もち」からは、そういう言葉を使うことへのあこがれというか、ちょっと背伸びした感じも受ける。普通は、友達との会話では使わない言葉であることは間違いない。それは「もらったことないんだもの。」という言い方の幼さかと合わせて考えるといっそう浮き立ってくるように思う。また、この言い方からは、少しひがみっぽい感じがする。

さて、続きを進めよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いちどもかい。」
かえるくんがたずねました。
「ああ。いちども。」
がまくんが言いました。
だれも、ぼくにお手紙なんかくれたことがないんだ。毎日、ぼくのゆうびんうけは、空っぽさ。お手紙をまっているときがかなしいのは、そのためなのさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なんと、「だれも、ぼくにお手紙なんかくれたことがないん」ことが悲しさの原因だということである。読み手からすると、少しばかり大げさすぎやしないかという感じもする。スネている感じである。手紙をもらったことがないというだけで、そんなに不幸せな気持ちになるのは、少し大げさではないかという違和感である。
ここも謎だらけである。
なぜ手紙がこないことがそんなに悲しいのか?(なぜそんなにお手紙が欲しいのか?)
なぜ自分から出そうとは思わなかったのか?出さなかったのか?あるいは出したけど返事がなかったのか?
そもそも、誰から、どんな手紙がくると思っているのか?きて欲しいのか?
この読み手に湧く「違和感」「謎」は、この物語ではとても重要な読みへとつながるのではないかと感じる。
これらはどう考えればいいのか?そして、そこから読める人物像は、、、、。

 それにしても、がま君にとっては、この悲しさは、がまくんにとってそうとうな悲しさのようでる。それは「ああ、いちども。」「お手紙なんか」「空っぽさ」などの拗ねたような言い方から容易に想像できる。
また、がま君は、そうとう甘えん坊でさみしがりやなんだろうと感じる。しかし、どこか憎めない感じ、助けてあげたくなる感じも私には感じられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ふたりとも、かなしい気分で、げんかんの前にこしを下ろしていました。
すると、かえるくんが言いました。
「ぼく、もう家へ帰らなくっちゃ、がまくん。しなくちゃいけないことが、あるんだ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんながまくんに、かえるくんは同情している。かえるくんは、いいやつなのだろう。
「いちどもかい」と
かえるくんが悲しい気分になったのは
がまくんにお手紙がこないことなのか?
お手紙がこなくて悲しんでいるがまくんのことを思ってなのか?
そんながま君の気持ちを知らなかったこと、気づいてやれなかったことなのか?
自分が、がま君に一度も手紙を出さなかった出したことがなかったことへの後悔からなのか?
の、どれなのだろうか?いくつかの思いが重なっているのだろう。
かえるくんは、玄関に座っている悲しそうな顔のがまくんを見てすぐに「どうしたんだい。」と心配している。そして、その理由を聞きながら、かえるくんもまた「かなしい気分」になっていく。そんな友達思いのかえるくんであるが、この場面では、けっして励まそうとはしていない。なぜなのだろうか?「いちどもかい。」と尋ねているところから、かえるくんはお手紙をもらったことがあったのであろう。だからなのかもしれない。あるいはもらったとこがなかったとして、自分はそれを考えたことも悲しんだこともなかったのであろう。
そう考えると上記した③④の思いがあったことは確実だと言えそうである。あるいは、「いちどもかい」というかえるくんの何気ない言葉が、さらにがま君を傷つけたことも気づいていたのかもしれない、、、。

そのかえるくんは、この場面での最後のセリフ
「ぼく、もう家へ帰らなくっちゃ、がまくん。しなくちゃいけないことが、あるんだ。」
と言う。まず前半を普通の言い方に直すと「がまくん、ぼく、もう家へ帰らなくっちゃ。」である。比較すると、急に思いついたような感じである。そして、「どうしても帰りたい、帰らなければならない」ことを思いだしたという感じがする。それは「しなくちゃならないこと」があるからとなる。「することがある」あるいは「したいことがある」と比較すると、「どうしても、なにがなんでも」といった思いが込められている。後で出てくるのだが、かえるくんは、家へ帰ってがまくんにお手紙を書こうと思いついたのである。だから「どうしても」であり「なにがなんでも」なのだろう。ここから物語は、結末へ向けて展開していくことになる。
★ここからわかるかえるくんの人物像は、
人がいい。優しい。
思いついたらじっとしていられない性格。
がまくんのことが大好き。友達おもい。
といった感じであろう。


※1学期にサークルで提案したものを元に、みんなで検討したこと、そして跡上先生のアドバイスを受け、もう一度「お手紙」について考えみたいと思いました。そこで、これまでとは書き方を変えて、少しずつブログにアップしていきたいと思います。

2013年7月24日水曜日

「生き物はつながりの中で」 再考

前回「生き物は・・・」についてアップしたところ、うれしいことに反論のコメントがありました。以下
★投稿されたコメント
この説明文の、文章構成図は
    ①
    |
    ②

   ③④⑤

    ⑥
    |
    ⑦ だと思います。①は話題提示と呼びかけ
             ②が問い  ③④⑤が説明
             ⑥が答え
             ⑦が筆者の主張だと思います。
いかがですか?

前文が私の提案では1段落だけなのに対して、1・2段落ではないかという反論です。以下、再考したものを載せてみます。ここでも私は1段落だけを前文としています。1学期に実践したのですが、子どもたちも1段落だけだと言いましたが、、、、。ぜひ検討してみてください。そしてより正確な教材研究にしていきましょう。
なお、今回は吟味よみまで入れています。


★構造よみ
前文1  本文2~5  後文6 7
◎2段落は前文か本文かという観点。
・前文には問題提示=全体にかかわる問題 がある。1段落に問題らしき文が2つ(➃文・⑤文)ある。よって1段落は前文。
・ところが2段落にも問題らしき文(⑩文「しかし、本物のイヌとロボットのイヌは本当に同じでしょうか。」)がある。これは1段落➃文「ロボットのイヌは本物のイヌとはちがいます。」という結論=前提と矛盾するため、これは論を進めるための「なげかけ・よびかけ」と考えられる。
・そもそも2段落は、説明がはじまっている。よって2段落は本文となる。
◎6段落は、本文か後文かという観点。
・6段落はまとめであり、後文。7段落は筆者の考え主張が書かれており後文となる。
◎本文をいくつに分けるか  本文Ⅰ(2段落3段落)    本文Ⅱ(4段落)     本文Ⅲ(5段落)
・3段落の最後から2文目が、「・・・生き物の特徴です。」と一つの結論を述べているので、3段落で切れ4段落から別の説明がはじまることがわかる。
・4段落の最後は「・・・生き物らしいところであり、ロボットとのちがいです。」とここも一つの結論を述べているので、4段落で切れ5段落から別の説明がはじまることがわかる。
・5段落「次に」ではじまる。よって違う観点での説明であることがわかる。

★要約読み
前文
1段落の要約
説①イヌ型ロボットを知っていますか。
説②
説③でも、ロボットのイヌは本物のイヌとはちがいます。
柱⑤どこがちがうのでしょう。(柱的ではあるが、⑥でまとめられているとも言え、説明だとも考えられる。
 +・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
柱⑥そのちがいを考えながら、生き物の特徴をさぐってみましょう。
◎前文の要約
ロボットと本物のイヌのちがいを考え(ながら)、生き物の特徴をさぐる(ろう)。32文字

本文(本文Ⅰ 本文Ⅱ 本文Ⅲ)
2段落=説明 本物のイヌの説明
 ↓   ①書き出し
②~➃本物のイヌの説明
⑤生き物の説明 このように、生き物は、体外から必要なものを取り入れ、体内から不要なものを出して、内と外とで物質のやり取りをしています。
⑥~⑨ロボットのイヌの説明
  1. 次への問い
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3段落=柱
①~⑤本物のイヌの例
    ⑥⑦人間の例
    ⑧⑨ロボットの例
柱⑩外から取り入れたものが自分(身体)の一部になる(り)、(そのようなつながり方で)外とつながっているのが、生き物の特徴です。
◎本文Ⅰの要約
外とつながっているのが、生き物の特徴だ。(20字)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4段落=柱
①~⑥本物のこと
柱⑦変化・成長しながら、一つの個体として時間をこえてつながっている、これも生き物の特徴です。
 ⑧説明
◎吟味
主語(本物のイヌは)  述語(つながっている)  
何と?「個体として」体の細胞が昨日から今日、明日へとつながっていることを個体として個体としてつながているという言い方でいいのか?
「つながる」という言葉は「何かと」「何か」が「つながる」というふうに2つ以上の者をつなげる時に使うのだが、、、。昨日のチロと今日のちろはつながっているというふうな言い方か、ちろ自身の体が一生を通じて変化しているけれどつながっているか、、、、。本来「生き物の特徴」から言うと、「変化・成長」することでいいのではないか?それを「つながっている」とするのは無理がある。
◎本文Ⅱの要約
一つの個体としてつながっているのも(が)、生き物の特徴だ。(26字)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5段落=柱 ①~⑥生まれ方の例(見てみましょう→例)
柱⑦このように、過去や未来の生き物たちとつながっていることも生き物の特徴です。
⑧説明
本文Ⅲの要約
過去や未来の生き物たちとつながっているの(こと)も、生き物の特徴だ。30

◎本文の要約
本文Ⅰ要約「外とつながっているのが、生き物の特徴だ。」(20字)
本文Ⅱ要約「一つの個体としてつながっているのが、生き物の特徴だ。」(26字)
本文Ⅲ要約「過去や未来の生き物たちとつながっていることも、生き物の特徴だ。」(31字)

後文
6段落
説 ①本物のイヌとイヌ型ロボットを比べながら、生き物の特徴を見てきました。
説 ②生き物は、外の世界とのつながり、一つの個体としてのつながり、長い時間の中で過去の生き物たちとのつながるというように、さまざまなつながりの中で生きていることがわかりました。
柱 ③このつながりこそが、生き物の生き物らしいところで有、ロボットとのちがいです。

柱文だけの要約 (この)つながり(こそ)が、生き物とロボットのちがいだ。20
  ↓(指示語)
この=外の世界とのつながりや、一つの個体としてのつながりや、過去の生き物たちとのつながりというような、さまざまな
    ↓(挿入)
外の世界とのつながりや、一つの個体としてのつながりや、過去の生き物たちとのつながりというような、さまざまなつながりこそが、生き物とロボットのちがいだ。
  ↓前文の2つの問題提示にあった答えにすると
  ◎6段落の要約
外の世界とのつながりや、一つの個体としてのつながりや、過去の生き物たちとのつながりというような、さまざまなつながりこそが、生き物の特徴で、生き物とロボットのちがいである。

7段落 
理由①あなたは、今日もあなたであり、明日もあなたであり続ける、たった一つのかけがえのない存在です
  理由②と同時に、あなたは過去のすべてとつながり、未来へもつながっていく存在なのです。
  理由③また、地球上の他の生き物ともつながっています
   ↓    (①+②+③)→(➃+⑤)
          (理由) → よびかけ(筆者の主張)
  柱 ➃そう考えると、今、あなたが生き物として生きていることが、とてもすてきに思えてきませんか。
   +   ➃要約「あなたが生き物として生きていることが、すてきに思える。」
  柱 ⑤そして、自分自身のことが大切であるように、他も大切であるという気持ちになりませんか。
    ⑤要約「自分自身と同様、他も大切であるという気持ちになる。」
7段落の要約➃+⑤
「あなたが生き物として生きていることが、すてきに思え、自分自身と同様、他も大切であるという気持ちになる。


★吟味よみ(観点①本分と理由の整合性  観点②理由と主張の整合性、納得感)
吟味観点①(①②③の下線部分が本文からのつけくわえ、おきかえになっている。ずれを確認して、吟味する。)
①は本文のどこのことなのか?なぜ自分であり続けることがかけがえのないことなのか?納得できるか?
②は「存在」の意味を理解できるかどうか。存在とはなにか?なぜわざわざ存在と言っているのか?
③は、本文のなんとの置き換えか?「外の世界とつながり」のおきかえ。これがわかるかどうか?
吟味観点②
「あなたが生き物として生きていること」=「つながっている」「かけがえがない」ということであろうと読める。「かけがえのない」=4段落「自分自身とのつながり」でる。このために無理筋で入れたとも思える。
ここを「つながり」を使って述べればよかったのではないか。
総評

基本的に「つながり」にまとめようとした点に若干無理が生じたのではないか。4段落「一つは自分自身の中でのつながり。」が無理筋か。そのために7段落で順序を入れ替えてあるのかもしれない。

※なお、前回の教材研究は何年も前のもので、教科書の教材自体が手直しされているようです。それもあり今回再び再考してみました。

2013年5月10日金曜日

はじめての構造よみ 「カレーライス」

 はじめての物語カレーライス。その構造よみ。水戸黄門などを例に出し、おもしろおかしく構造を説明。次の時間いよいよカレーライスの構造読み。
 発端について考え会っている時でした。なんせはじめての経験。しっかりと発端とは何かを理解させたいと思いました。そこで、
「この物語は、どんな物語かな?一言で言うとすると」
こう子どもたちに問いかけることからはじめました。
子どもたちは、班会議を経て次のような4つの意見を出してきました。
①    けんか
②    けんかのきっかけ
③    きずな
④    なかなおり
「いいねえ、きずなかあ、深いとことまで考えた意見だね。でも、これ、順番が変じゃない。この四つを物語に会うように並べかえるとどうなる?」
「けんかのきっかけ→けんか→なかなおり→きずな」
子どもたちは口々に言いました。
「じゃあ、発端に指標にそって考えてみよう。まず、何かと何かの出会い。このけんかは、だれとだれのけんか?」
「ぼくとお父さん」
「そうだね、ということは、この二人が出会うところが発端だね。それはどこ?」
こうして、発端は「お父さんウィークの初日」という案が出てきました。
もちろん、「けんかした状態のぼくとお父さんの出会い」という意味です。
そこまで、実はお父さんは登場しないこともページを追いながらみんなで確認しました。
そして、けんかをした状態で迎えるお父さんウィークがはじめてのこと=いつもと違うことであること。発端まで(導入部)は、けんかになった理由の説明であること(導入部には説明が書かれていること)などを確認しました。


特に戸惑うこともなく、子どもたちと一緒に考えなら進めました。「発端」に関わり指導しなければならない学習内容について、おおむねふれることができたと思います。