新年度1回めのサークルでは「のどがかわいた」をみんなで読んでみました。
五年生の物語です。
この物語は、とても変わった?物語で、ある意味とても魅力的な作品だと思います。
話者が「内の目」であること。「?(なんで?どういう意味?)」と考える箇所が多いこと。大きな展開や会話が少ないことなどが上げられます。
物語の展開部に次のような箇所があります。
【こいつ、のどのかわきを知っているんだ。ミッキーが、だ。】
【「ミッキー、君、のどのかわきを感じられるの。」とぼくはきいた。ミッキーが、うんとうなずいた。それ以上は、二人ともしゃべらなかった。】
上記の箇所にはいくつかの疑問があります。
「のどのかわきを知っている」のは誰でも当たり前だと思えます。それをミッキーが知っていたことを、倒置(1文目)を使ってまで驚きの表現で述べています。また、普通は「のどのかわき」は、2文目のように「感じ」るもので、「知っている」という言い方は、どういう意味かと考えさせられます。
2文目は、他者に「のどのかわきを感じられるの」と尋ねています。これまた、おかしな質問です。それに対してミッキーは「うんとうなず」いています。普通なら「なにそれ、何が言いたいの、聞きたいの?」とか「そんなの当たり前だろ」、、、などとなるのではないでしょうか?また、「それ以上は、二人ともしゃべらなかった。」のはなぜなのでしょうか?これを境に、二人の関係性は変貌していく重要な部分です。そういえば冒頭でも主人公のイタマルは、「水を飲む」こと「のどのかわき」にこだわりをみせています。なにより題名も「のどがかわいた」です。
これを読み解くことが、この作品を読み解く鍵になる部分でもあります。
ところで辞書をひくと「かわき」には二つの意味があります。1つは言葉通り、水分が不足している状態です。もう一つは、得られないものへの心理的な欲望・欲求の高まり。欲しいものが満たされない心の状態をいうこともあるそうです。だとすると、二人の間で交わされている「かわき」は後者であると読むと違った意味が出てきます。それが何なのか、おそらくイタマルにも分からない、言葉に表現できないのだと考えると理解できそうです。だから、「それ以上は、二人ともしゃべらなかった」のではないでしょうか。しゃべりようがなかった。しゃべらずともわかり合えたのだと、、、。
この作品は、これ以外でも、通り一遍の読みではわからない、というか気づかない部分がたくさんあります。だからこそ、そこを子どもたちと一緒に気づいていければ、とても面白い授業になると思います。
追伸(筆者の背景と作品に隠されたもの)
裕福なユダヤ人医師の家に生まれたウーリー・オルレブと弟は、第二次世界大戦勃発後、まずゲットーに隔離され、母親が殺されたあとポーランド人区に逃れてかくまってもらい、それから二十二か月をベルゲン・ベルゼン強制収容所で過ごしたそうです。どんなときにも空想と冒険の心を持ちつづけ、ホロコーストの時代を生きたのだそうです。
だとすると、物語の中に出てくる「空想」には、また違った、そして深い意味が隠されていると思われます。著者にとっての「空想」は、それこそ「どんなに絶望的な現実の中であっても誰にも支配されなることのない精神(性)世界の自由」とか「どんな困難な状況でも誰にも犯すことのできない希望」と言った意味があると考えられます。しかし、5年生という段階を考えると、そこを理解できるかは指導をする際に判断が必要だと思います。
それにしても、指導書ではこの作品は3時間の割り当てだそうです。それはないでしょう。そこんとこどうにかなりませんかね、光村さん、、、、。おねがいしますよ。