2013年8月1日木曜日

「お手紙」その3

「お手紙」その3(山場の部)

★ここまでをまとめてみると
 がまくんは、玄関に座って自分から手紙を出してみるなどはせずひたすら待つだけで、しかも手紙がこないことにただ悲しみあげく怒っている。甘えん坊で、幼い人物像が読み取れる。しかも、よくよく考えると毎朝手紙を待つ時間を決めているというのは、そうとう変わり者だと言えそうである。どちらかと言えば偏屈な感じもある。
一方のかえるくんは、そんな悲しそうながまくんをほっとけない、優しいとともに少しお節介で、そそっかしい感じがする人物像である。そして、二人とも幼く、少し愚かさもある。

さて、いよいよ山場の部である。
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「かえるくん、どうして、きみ、ずっとまどの外を見ているの。」
がまくんがたずねました。
「だって、今、ぼく、お手紙をまっているんだもの。」
かえるくんが言いました。
「でも、来やしないよ。」
がまくんが言いました。
「きっと来るよ。」
かえるくんが言いました。
「だって、ぼくが、きみにお手紙を出したんだもの。」
「きみが。」
がまくんが言いました。
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★謎 なぜかえるくんはお手紙を書いたことを話してしまったのか?
 さすがのがまくんも、かえるくんが何度も窓の外を見ていることに気づいてしまう。それどころかかえるくんは、「だって、ぼくが、きみにお手紙を出したんだもの。」とあっさりと自分が手紙を出したことをばらしてしまう。いかにもそそっかしいかえるくんらしい行動とも言える。幼さだとも言える。

しかし、ただそそっかしい、幼いということとは少し違うような感じもする。どちらかと言えば、教えたくてしかたない。出し惜しみしながら、焦らしている、そしてそれを楽しんでいるようにも読めるからである。それは、この場面の前、展開部の二人のやりとりから続いているようにも思える。「お手紙をまっているんだもの。」「お手紙を出したんだもの。」という言い方からも、しかたなく言っているようでもなく、思わず漏らしたようでもない。どちらかと言えばそれでを楽しんでいるように感じられる。ひょっとすると、話したくてしかたないのかもしれないと思える。黙っていることを我慢できないように感じられるのである。

 もちろん、がまくんには、自分が手紙を出したことを黙っていて、よりサプライズ的にする方が、よりがまくんを喜ばせることができる。しかし、はやくがまくんにそのことを、自分が手紙を出したことを言いたくてしかたない。
これは、前者の方が、より優しいとか、思いやりがあると言いたくなりそうだが、しかし、そうではないのだろう。先にかえるくんの人物像を「お節介」と書いた。「お節介」と「親切」(この場合「思いやり」と言い換えてもいいが)は、やはり紙一重なのだ。それは、ある絶対的な基準があるわけではなく、「する側」と「される側」の微妙な関係の中でどちらにもなり得るものなのだと言える。二人の関係性の中に基準(?)があるのだと言える。もちろん二人のキャラクターにも関係していることは言うもでもない。そしてなにより、その「お節介」がもたらした結果、それをされた側の気持ちが決定することなのだと言える。
だとすると、この後の二人の気持ち、とりわけがまくんの気持ちが快なのか不快なのかを考えると、かえるくんの行為は、決してお節介ではなかったと言えそうである。前の場面から続き結末まで続く二人のやりとり、そこからは、二人の関係性、名(迷)コンビぶりをこそ読みとるべきことだと言える。それがこの物語のテーマの一つだと言えそうである。(「お節介」=「悪」だと言っているわけではない。)

 さてこの場面、お手紙を待っていたのはがまくんである。しかし、この場面でお手紙を待っているのはかえるくんになっている。そこもまた、この物語の面白さである。

続きをみてみよう。
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「お手紙に、なんて書いたの。」
 かえるくんが言いました。
「ぼくは、こう書いたんだ。ぼくは、きみがぼくの親友であることを、うれしく思っています。きみの親友、かえる。」
「ああ。」
がまくんが言いました。
「とてもいいお手紙だ。」
それから、ふたりは、げんかんに出て、お手紙の来るのをまっていました。
 ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。
長いことまっていました。
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 いよいよクライマックス場面である。ここでは、手紙を出したことだけでなく、その文面まで教えてしまっている。それはなぜか?これも、先に述べたとことと同じなのだろう。

★親友の謎を考える(「親友」という言葉に込められたかえるくんの思い)
★手紙の内容(文面)を考えてみる。
「ぼくは、きみがぼくの親友であることを、うれしく思っています。きみの親友、かえる。」
これが文面である。
この手紙は、何を言いたいのか?
「親友」だと言うことを伝えたいわけではない。「うれしく」思っていることであろう。(序列的に)
それは、「ぼくは、君の親友です。」とどう違うかを読み比べてみることではっきりする。がまくんのことではなく、かえるくんは自分自身のことを、自分自身の思いを言いたいのである。
「だれもぼくにおてがみなんかくれたことがないんだ。」(冒頭場面)、「ぼくにてがみをくれる人なんているとはおもえないよ。」(これは手紙を書いた後のセリフであるが、友達であるかえるくんは理解していた。)の答えとして「君には、ぼくがいるじゃないか」だから元気出せ、ではなく、「ぼくには、きみがいるんだ」それが「うれしい」ありがとうと言っているのである。がまくんがいてくれてうれしい。がまくんがぼくの親友でよかった。と言ったことだろう。かえるくんの優しさが感じられる文面になっている。
 かえるくんは、がまくんのこと(思い)を本当によく理解していることを読み取ることができる。だから、がまくんは「ああ」と感嘆の声を思わずあげたと言える。だから、「とてもいいてがみだ。」と素直な気持ち(感想)を言えたのだろう。

★二人の関係について
 二人の関係は、どちらかというと、ドジで変わり者のがまくんを親切にお世話するかえるくん、といった構図である。その関係の中で、がまくんは多少劣等感を持っている(それがスネた言動になっている)と思われる。それが、冒頭のがまくんの行動(玄関前にわかりやすい表情で座っている。かえるくんがなだめても、ふてくされたような返事をくり返す)に表れている。
しかし、先の文面からするとかえるくんにとってがまくんは、けっしてお世話してあげる人ではなく、なくてはならない唯一無二の存在だということがわかる。それが「親友」という少し改まった言葉だと言える。 これは、かえるくんの本音なのだろうか?という疑問がわいてくる。
「かえるくんは、おおいそぎでいえへかえりました。えんぴつとかみをみつけました。かみになにかかきました。かみをふうとうにいれました。」からは、熟考した様子は見受けられない。思ったことを、言い換えると常々思っていたことを書いたようにみえる。

★『ふたりはともだち』から
 実はこの「お手紙」という物語は、『ふたりはともだち』をいう本の5つのエピソードの最後に納められているエピソードである。(私の手元にあるのは「文化出版局 ミセスこどもの本」 アーノルド・ロベール作 三木 卓訳『ふたりはともだち』 発行所学校法人 文化学園 文化出版局)
 1つ目のエピソード『はるがきた』では、4月になっても冬眠から起きないがまくんに春のすばらしさを伝える(二人で感じて喜ぶ)ために、がまくんをなんとか起こそうとする話。
 続く2つ目のエピソード『おはなし』は、体調を崩したかえるくんが、がまくんに何かお話をして欲しいと頼む。そこでがまくんは、あれこれとお話を考えるのだがどうにも思い浮かばず、最後は壁に頭をガンガン打ち付けてまで考えるだが、結局思いつかない。それどころか、頭を強く打ったためにがまくんが体調不良になってしまう。そこでこんどはかえるくんが、がまくんにお話をしてあげると申し出、今自分のために悪戦苦闘するがまくんの姿を話す。しかし、がまくんは途中で眠ってしまうのである、、、。
 3つ目『なくしたボタン』、4つ目『すいえい』の内容は省略するが、どれもちょっと間抜けでドジながまくんと、そんながまくんを優しく機転が利くかえるくんがお世話するという、なんともほのぼのとしたお話が続くのである。
 しかし、決してかえるくんはがまくんに対してお世話している風ではない(私ははそう読めた)。がまくんが好きでたまらない感情が、全編から伝わってくるのである。そしてその最後のお話として『おてがみ』が綴られているのである。
 それを理解すると、かえるくんががまくんに出した「お手紙」の文面は、決して嘘や誇張、同情などというものではないことが分かる。かえるくんにとって、がまくんは大切な「唯一無二の存在」=「友達」なのである。
★なぜ教えてしまったのか再考
 そう考えると、「なぜ教えてしまったのか?」という謎の答えもみえてくる。「伝えたくてしかなたかった」のだろう。言いたく言いたくてしかたなかったのであろう。そう考えるとすっきりとすると私には思えるのだが、、、、。そして、それに気づいていないのは、がまくんだったのだろう。
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 それから、ふたりは、げんかんに出て、お手紙の来るのをまっていました。
 ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。
長いことまっていました。
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「ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。」は
「ふたりともかなしいきぶんでげんかんのまえにこしをおろしていました。」(冒頭部分)
に対応している文である。
★「ふたりとも」の謎
 なぜ、「ふたりとも」なのか? なぜ「かえるくん」もしあわせな気持ちになったのか?がここの謎である。
これまで読み取ってきたことから、4つのことが考えられる。

 まず1つ目、なによりかえるくんが喜んでくれたからであろう。そして2つ目、かえるくんは自分の思いを伝えられたから。だから「ふたりとも、とてもしあわせな気持ち」になれたのだろう。
 3つ目は、自分の思い(手紙の内容=がまくん親友でいてくれたことがうれしい)をがまくんがうれしく思ってくれた=受け入れてくれた=がまくんも同じ気持ちだ=気づいてくれたからであると思われる。
 最後の4つ目は、その手紙がもうすぐ来ることである。それを二人で一緒に、待てるからなのだろう。
 かえるくんは、大好きながまくんとなんでも一緒にしたいのである。そして今待っている「お手紙」は、二人をうれしい気持ちにしてくれることが分かっているのである。うれしい気分で一緒に「まだかな、まだかな」と待っていられるのである。
 
 実はかえるくんは、他のエピソードの中でも、いつもがまくんと一緒に行動しよう、いっしょに楽しもうとしていることがわかる。下の場面は、『ふたりはともだち』の最初のエピソード『はるがきた』の一節である
4月になっても冬眠から起きてこないがまくんを、かえるくんが起こそうとする場面である。

(前略)
「つまり、ぼくたちのあたらしい一ねんがまたはじまったってことなんだ。がまくん。そのことをおもってごらんよ。」
かえるくんがいいました。
ぼくたち、くさはらをとびはねながらとおりぬけられるよ。森をかけぬけることもできるし、川でおよぐこともできるんだぜ。ばんにはいまいるげんかんのまえにいっしょにすわっておほしさまのかずをかぞえるんだ。」
「かえるくん、きみがかぞえればいいさ。」がまくんがいいました。
(中略)
それじゃ それまで、ぼく さびしいよ。」がまくんはへんじをしませんでした。もうねむっていたのです。
(後略)

 上記からも、かえるくんは、何でもがまくんと一緒にしたがっていることがわかる。それはがまくんが大好きで、その大好きながまくんと一緒にした方が楽しいと言うことをわかっているからであろう。
「それじゃ それまで、ぼく さびいよ。」
ここからは、かえるくんにとって、いかにがまくんが大切な存在である「唯一無二の存在=親友」であるかがわかる。だから、一見「お節介」に見える行為も、そうではなく本当友達として助けたいと言った気持ちからなのだということがわかる。そこには、二人の関係が、決して「縦位置の関係」ではなく、「横並びの関係」であることがわかる。
そして、どちらかと言えば、相手のことが好きだと、相手が唯一無二の存在だと終始理解しているのはかえるくんなのである。『ふたりはともだち』のエピソードからもそのことは読み取ることができるし、この『お手紙』からもわかる。分かっていないのは、というか無自覚なのは実はがまくんの方なのである。
がまくんは、この『お手紙』というエピソードの中のかえるくんからの「お手紙」の文面で、ようやくそのことに気づいたのである。自分にとってもかえるくんは唯一無二の存在なのだと。

★『ふたりはともだち』の中での『お手紙』
A『ふたりはともだち』
の中の『はるがきた』
そういう意味で、この『お手紙』というエピソードは、『ふたりはともだち』の最後に納められており、その『お手紙』の最後の場面でようやくがまくんはかえるくんが親友だと気づいたという仕掛けになっているのである。『お手紙』が最後のエピソードになっているのは、そういう意味なのだということがわかる。この場面の挿絵ではじめて二人は肩を組んでいるのは、そういう意味なのだろう。(肩をくんでいる絵は『ふたりはともだち』の中で、2カ所である。
 Aは、1番目のエピソード『はるがきた』で、かえるくんが無理矢理がまくんを起こそうと、玄関まで連れてきている絵。この絵では、肩に手を回しているのはかえるくんだけ、がまくんは眠そうな目をこすっている、迷惑そうにしている絵で
B『ふたりはともだち』
の中の『お手紙』
ある。

Bはこの最後場面の絵である。①二人はお互いに腕を肩に回している。②表情はにこやかである。③かえるくんは何かを話しているようにも見える。④それはかえるくんの肩を組んでな
い方の手のしぐさからも想像できる。

C『ふたりはともだち』
の中の『お手紙』
★Cの絵について
 ところで、『お手紙』の冒頭「ふたりともかなしいきぶんでげんかんのまえにこしをおろしていました。」の絵Cは、二人でお手紙を待っている絵と同じように見えるが、①肩をくんではいない。それぞれ両手の指を体の前で所在なさげに組んでいる(?)。②表情が悲しそうである。③口をへの字に結んでいる。④二人の心情を表現するかのようにバックの花などの色が(二人の絵も色が)薄い。などの違いがある。絵本である以上、子どもたちには、これらの絵からも読み取らせたいものである。

 こうして『ふたりはともだち』という本の中で、最後の最後に『ふたりはともだち』になったことがわかる。

なんともよくできた本だと私には思える。

※お借りした絵は、
文化出版局 ミセスこどもの本 アーノルド・ロベール作 三木 卓訳『ふたりはともだち』 発行所学校法人 文化学園 文化出版局 
からです。

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