2012年6月19日火曜日

例会報告 帰り道に考えたこと


参加13名。
はじまりは、4
こりゃあ~どうしたもんだと思いながらのスタートでしたが
最終的には13名。
まあ、最近はこのくらいか、、、



本日の提案は
「低学年の実践を高学年の実践につなげる」
「教材研究を授業につなげる」
2本立て。

1本目のテーマは
分かりやすく言うと
「高学年での学習につながる低学年の学習」と
言った方がわかりよいか
実はここのところ、
本サークルの課題を
「教材研究から、授業化へ」と言った
テーマを持って挑んでいたのですが
それが2つ目のテーマですね。

テーマ1の本日の提案は以下の通り
①低学年では、場面ごとに指導するのだが
その際に、「構造よみ的な意図」を入れていく
②言葉のイメージを客観的なイメージ・形象に高めていく
③表現技法を実態に合わせて指導していく・・・

①はたとえば最初の場面(普通「1場面」などと授業では呼ばれている)
スイミーでいうと次の場面
広い海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。 みんな赤いのに、1ぴきだけは、からす貝よりも真っ黒。およぐのは、だれよりもはやかった。 名まえはスイミー。
この場面は「構造よみ」でいうところの「導入部」にあたる
そこで
「今日は1の場面を勉強するよ。じゃあ、スイミーがどんな魚かわかる言葉に線を引いてごらん」(時・場は省略したとする。)
と言って発表させる。
すると
「カラス貝よりも真っ黒」
「およぐのは、だれよりもはやかった」
2つが出される。
それをみんなで読んでいった後
「良く読めたね~。人物を読むときは、見た目(様子)や特技(特徴)などに気を付けて読んでいくことが大事なんだね。」
などと言いながら人物形象の読み方の基礎を指導していく。
同様に、「小さな兄弟」を読む。
必要なら「事件設定」についても発問で線引きさせたりして読み取って行く。
そして1場面が読み終わったら
「実はね、物語の1の場面にはね、このように物語の「紹介(時・場・人物・事件設定)」が書かれているんだよ。だから、1の場面では、いつもどんな紹介が書かれているかを読む事が大事なんだよ。」
と言ったことを説明していくのである。
(必要なら「桃太郎」などの導入部を例にしていくとよい)


こうすることで、高学年の「構造よみ」や「導入部の形象よみ」につなげていくことができる。
また、例えば「場」を読むだとすると、
「こも物語の場所がわかるところに線をひいてごらん?」
と問へば、
「広い海のどこか」
が出される。

「海ってどういうところかな?」と問い
子どもたちに「海」について知っていること、思っていることなどを発表させていく。
これは低学年の授業ではよく見かけるが、
子どもの私的な思いにとどまらせておくのでなく
子どもの発表を教師の方で、
意図的にプラス面とマイナス面とに分け、
海のイメージ・形象等を作りあげていくのである。
その際、海という感じの中に母という漢字があることに気付かせ
「生命の源」的な海の形象を知識として付け加えたりする
そのことで、私的な海のイメージを、客観的な文学の文脈の中での海の形象の入り口へと導くことができると考える。
これが②の提起である。(③は省略)

あれ~、本日の提案を説明していたら、
「帰り道に考えたこと」
=本日提案したスイミーのテーマを「発展・掘り下げる読みのアイデア」
だったんだけどを忘れてしまった。(笑)




2012年6月11日月曜日

絵本を読むということ(スイミー)

本日月曜日は、自分の学校の校内研(大研)の講師ということで
あれこれ準備をしました
といっても例の如く一夜漬
おまけに日曜日は夜中に「スペインVSイタリア」
これを見ずしてサッカーフリークは名乗れませんので
それを見てからということに、、、
朝5時までかかってしまいました
いやはや、、、、
それにしてもイニエスタ
キレッキレでしたね~
私一押しのスペイン
ちょっとイヤな展開ですね


ちなみに教材は2年生「スイミー」
どういう資料を用意しようかと考えた末
「スイミーは、絵本を使うのが必要だ」というのが
当サークルの以前の結論でしたから
この際ということもあり、
1つ目の資料として「絵本」について書いてみました。(以下参照)
もう一つの資料は「本時」を技法で読むとどうなるかというもの





「絵本」教材を読むと言うことについて
校内研資料
★「絵本」教材を授業するときに
絵本は「絵」の「本」という意味である。絵本の「絵」は、いわゆる「挿絵」ではない。テキストと絵では、どちらかというと絵が主体とも言える(もちろん絵本によるのだが)。だとすると、他の(絵本以外の)文学作品とは違って、テキストだけではなく、その「絵」も「読む」必要がある。それは近年大人も絵本を楽しむという傾向が増している現状では、なおさらである。
よって、絵本教材を指導する場合、教材研究にあたっては、教科書だけでなく、①元本の絵本にもあたってみる、②絵についても考察しておく、の2点が必要になってくる。

★スイミーとレオ=レオニ
特に「スイミー」の作家は下記にある通り、デザイナー出身で画家でもある。また、谷川俊太郎は、雑誌に「かれ(レオニ)は、自分を表現したいから絵本を描くという人ではなく、むしろグラフィックデザイン的な感覚で絵本制作をしていたのだと思います。絵の方から発想してテキストを描くというところもあったのではないでしょうか。」と述べている。
レオ・レオニ…1910年オランダ、アムステルダム生まれ。15才でイタリアへ移住。39年ナチスのユダヤ人迫害により、一家でアメリカへ亡命。グラフィックデザイナー、画家、彫刻家として活躍、50才で商業デザイナーを引退、絵本作家に転身。

★「スイミー」教科書と絵本の違い
 教科書  スイミー    
絵本   スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし

P4647
テキストは教科書も絵本も同じ。絵は教科書より絵本の方が絵が広い。教科書の絵では、スイミーが群れの中心にいるように描かれているが、絵本ではそうではない。
※絵から読めること…魚たちがおのおのの方向を向いているということ。間隔も、密度も均一ではない。
 スイミーの黒い色が目立つ。というか異質であることがハッキリとわかる。
P48 
教科書  ある日、おそろしいまぐろが、、、
絵本   ところが あるひ おそろしいまぐろが
絵本では、教科書P48のテキストだけで2Pを構成。絵は教科書のP4849の絵と同じ。
※絵から読めること…兄弟たちがバラバラに逃げているが、それでもスイミーだけは魚の視界の外、違う方向(下向き)に逃げているようにも見える。そして多くの兄弟たちは同一方向へ逃げているように見える。

P49  「スイミーはおよいだ、くらい海のそこを。こわかった。さびしかった。とてもかなしかった。」教科書では、P48 と同じ一場面の絵(まぐろ)の中に書かれている。
絵本では、色彩のない(?)誰もいない、なにもない海のかたすみにスイミーがたった一匹泳いでいる絵の中に書かれている。
※この場面での教科書と絵本の違いから考えられるストリーへの影響
絵本では絵とページ数によって、
①スイミーの孤独が絵で強調されている。
②時間的な経過(孤独の時間がかなりあったと考えられる)
※絵から読めること…ここでもスイミーが中心に描かれて折らず、あくまでも海の主体とみえる。その海の中も、色も他のページの海の色と違う。色がないとも言える。他の生き物もまったく描かれていない。さびしい様子。

P5051
教科書では2Pで書かれているテキストは、絵本では、「くらげ」「いせえび」「見たこともない魚たち」「こんぶやわかめのはなし」「うなぎ」「いそぎんちゃく」とそれぞれに2Pを当て合計12Pにわたって、それぞれの生き物の絵が描かれている。教科書の絵は、最後の「いそぎんちゃく」のページのもの。
文章的には、教科書では「くらげ。」と書かれているが、絵本ではそれぞれ「くらげ、、、、」「いせえび、、、」と「、、、、」で書かれ、最後の「いそぎんちゃく。」だけ「。」になっている。
※絵から読めること
①一つ一つの生き物の行き来とした様。その面白さ、きれいさ、神秘、、、=海の素晴らしさ。美しさ。
※教科書と絵本のちがい
①一つ一つの生き物の絵がとてもユニークに描かれており、海の中の楽しさや不思議、様々な生き物が生き生きとして生きているということが強調されている。

P5253(本時)
教科書では一つの場面として見えるこの場面も、絵本では2つに分かれている。P52P53は別の場面である。
教科書の絵は、最初の場面の絵である。絵本では、岩陰から出てきてスイミーについて行く様子の絵が描かれていて
「スイミーはかんがえた。いろいろかんがえた。うんとかんがえた。それからとつぜんスイミーは、さけんだ。「そうだ!」「みんないっしょにおよぐんだ。うみでいちばんおおきなさかなのふりして!」と文章が書かれている。
教科書「そのとき、岩かげにスイミーはみつけたスイミーのとそっくりの、小さな魚のきょうだいたち。」
絵本「そのとき、いわかげにスイミーはみつけたスイミーのとそっくりの、ちいさなさかなのきょうだいたち。」
教科書「出てこいよ」「いっぱいだよ。
絵本「でてこいよ」「いっぱいだよ
教科書 小さい赤い魚たちは、こたえた。「だめだよ。大きな魚にたべられてしまうよ。」
絵本   「だめだよ。」ちいさなあかいさかなたちはこたえた。「おおきなさかなに、たべられてしまうよ。」
※絵本と教科書の違いから生まれる解釈の違い
①教科書では、岩陰にいる時に「考えた」とも読めるが、絵本では、仲間たちが出てきてから、スイミーはいろいろ考えたように読める。仲間たちは、まだ解決策がわからないうちに、スイミーの説得に応じたことになる。
②上記の背景(海の中の生き物の楽しい姿)があるため、スイミーが岩陰にいる魚たちに呼びかける「おもしろいいきものがいっぱいだよ。」が読み手に実感として伝わってくる。よってこの場面の読みは、前の場面の読みが前提となっている。
③時間的経過。
P5455
教科書では一場面として描かれているが、絵本では下の3つの場面に分けて描かれている。
1「スイミーは教えた。けっして、はなればなれにならないこと。みんな、もちばをまもること。」
 絵はまだ大きな魚が頭の部分しか完成していない。
2「みんなが、1ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。『ぼくが、目になろう。』絵は教科書のP5455の絵
3「あさのつめたい水の中を、ひるのかがやくひかりの中を、みんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。」絵は大きな魚のが半分と逃る黒い魚2匹の後ろ半分。
※絵本と教科書の違いから生まれる解釈の違い
①ここでも時間的な経過がある。
②ぼくが目になろう」が絵的にも強調されている。
③教科書では、大きな魚=兄弟たちをたべたまぐろ。という間違ったイメージを持つ子が生まれる可能性があるが、絵本では2匹の逃げる大きな魚が描かれており、一匹は明らかに例の「まぐろ」ではないことがわかる。
★絵本と教科書ではかなりの違いがあることがわかる。よって次の様な工夫が必要なのではないか
①絵本をカラーコピーして拡大して、単元の学習期間中は、教室に掲示し子どもたちの目にふれるようにしておく。
②授業では、絵本をスキャンするなどして大きく映し出して授業を進める。
スイミーにおいては特に、海の中の生き物は、一つ一つ子どもたちとその生き物の面白さなどを味わう。
④場面分けを絵本にそって考える。
⑤少なくとも教師は、教科書ではわからない時間的な経過があることを意識して解釈なり指導なりを進める。
★また、「絵本」という観点からは
①「絵を読む」という時間を設定し、子どもたちにも指示をする。
②「絵」と「テキスト」の照応・差異などを授業の読みの中に入れる。

小研終わる「動いて、考えて、また動く」

「3~4人くらいじゃない、見に来る先生」
子どもたちには、そう言っていたのですが
なんと10名以上の方が、、、、
ビックリ!

本時は、2段落の「要約読み」でした
さて2段落は次の通り


2段落
①わたしが走り方を工夫し始めたきっかけは、高校生のとき、当時取り組んでいた走り方にぎもんを感じたことでした。
②それは、「ひざを高く上げて」「あしを思い切り後ろにける」、つまり大きな動作で走るというものです
③そうすれば、速く走れるといわれていたのです。
④わたしは、毎日毎日この練習をくり返していました。
⑤けれども、この方法で四百メートルを走ると、苦しくて最後までつづかないのです。
⑥「何かがちがうのではないか。」と、なやみ始めました。

★「柱の文に絞り込みなさい」
文関係の分析
①文が柱
②③文は、①文の「当時取り組んでいた走り方」の説明
④⑤⑥文は、①文の「ぎもん」の説明

★①文で「40字程度の要約文を作りなさい。」
「走り方を工夫し始めたきっかけは、当時取り組んでいた走り方にぎもんを感じたことだ。」

この
A柱の文への絞り込み
B柱の文を時数に合わせて要約する
までは、前教材「大きな力を出す」で学習ずみ

本時では、柱の文の要約文だけでは、わかりにくい時にはどうするか?
というのが課題
ということで、②文から言葉をとって①文の要約文に挿入する
という作業をしました。

いや~子どもたちは頑張っていたのですが、、、
小研ということで、張り切って
要約文を記入するプリント(10マス×5行)を用意したのですが
それが裏目に出ました

要約の仕方としては、
柱の文を
①文節に区切り
②下から時数に合わせてとっていく
という消去法的なやり方ですから、
その消去法的なやり方にあいませんでした、、、
いやはや、、、お粗末様でした

次回リベンジを、、、するか~

2012年6月8日金曜日

「動いて、考えて、また動く」 高野 進 (光村4上)

1段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    運動でも勉強でも、「まず動く、そして考える」ことが大切です。
    そうして何度も成功や失敗をくり返しながら工夫を重ねると、きっと、自分にとって最高のものを実現できます。
    わたしは、かって陸上四百メートル走の選手であり、今はコーチとして指導をしています。
    最高の走り方を目ざして取り組んできた長年の経験から、そのように考えるようになりました。

2段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      わたしが走り方を工夫し始めたきっかけは、高校生のとき、当時取り組んでいた走り方にぎもんを感じたことでした。
      それは、「ひざを高く上げて」「あしを思い切り後ろにける」、つまり大きな動作で走るというものです
    そうすれば、速く走れるといわれていたのです。
    わたしは、毎日毎日この練習をくり返していました。
    けれども、この方法で四百メートルを走ると、苦しくて最後までつづかないのです。
    「何かがちがうのではないか。」と、なやみ始めました。

3段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    そこで、わたしは、少しでも楽に走れないものかと、べつの走り方をあれこれためしてみました。
    あるとき、「ひざを高く上げるような、大きな動作をせず走ったらどうなるのか。」と思いつきました。
    静岡県の記録会でためしてみると、予想をはるかに上回るすばらしい結果が出ました。
    このとき、必ずしも大きな動作で走るのがよいとはかぎらないのだと思いました。

4段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    後から考えて分かったのですが、それまでのわたしの、走るとき「ひざを高く引き上げる」ことばかりを考えすぎていました。
    たしかに、ひざを高く上げることは必要です。
    でも、それは地面をより強くふむために必要なのであり、ただ高く上げることに意味があるわけではないのです。
    同じひざを高く上げる動作でも、地面を強くふむことを意識して行うことが大切なのだと気がつきました。

5段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    もう一つの「あしを思い切り後ろにける」ことについては、それからしばらくして、べつの発見をしました。
    あしを後ろにけるのではなく、体の下にしぜんに下ろしていく感じで走るとよいのです。
    走るときは、ついあしを後ろにけって、その力で前に進もうとしています。
    しかし、これではあしが後ろにのこってしまい、そのあしを前にもってくる分のむだが生じます。
    忍者がぴたあっと下り坂をかけ下りていくようなイメージで走ると、体のむだな動きがなくなり、すうっと進んでいけます。

6段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    あしの動きと同時に、うでのふりも重要です。
    このことは、陸上をつづけているとだれもが気がつくことです。
    陸上では、「うでで走れ。」という言葉があるほどです。
    ためにし、両手を後ろに組んで数十メートル走ってみてください。
    このほうが速く走れるという人はいないでしょう。
    これでは、着地するごとにかたがゆれてしまい、地面を強くふむことができません。
    右あしを出したときに左うでを前にふる、左あしを出したとき右うでを前にふるようにすれば、体全体のバランスが取れて、うでの力も使って力強くふみつけることができるようです。

7段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    このように、いろいろためしながら、自分に合ったあしの動かし方や、うでのふり方を考えました。
    そうすることによって、自分にとって最高の走り方を見つけることができた気がします。
    人によって、ほねの長さや筋肉のつき方はちがいます。
    ですから、習ったことなぞるだけでは、自分に合った走り方を身につけることはできません。
    何がむだか、そうでないかは、自分で動いてみて発見するしかないのです。

8段落・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    こうした経験からみなさんにつたえたいことは、自分にとって最高のものを実現するためには、「まず動く、そして考える」ことが大切だということです。
    自分なりの工夫も発見も、そこから始まります。
    自分から積極的に動いてみましょう。
    そうして、成功や失敗をくり返し、工夫を重ねていくことで、あなたにしかできない方法が、きっと見つかるはずです。

この構造をどう読みますか?

説明文で小研「動いて、考えて、また動く」その1

明日はというか正確には今日ですが、小研をします。
説明文「動いて、考えて、また動く」(高野 進)の「要約よみ」
これまで学年や仲間内では「説明文」の授業を見せり、他のクラスへ飛びこみでしたことはありますが
いわゆる研究授業としてはなぜかはじめてです。

この教材、なんとも難しいんですよね。
教材が、たぶんですが、教科書会社の依頼を受けて高野進が書いたものを、教科書会社の編集者が、4年生の教材になるよう編集?したか、高野にさらに依頼して手を入れさせたか、、、、
よって、作品がゆれているというか、無理があるというか、、、こちらの勝手な想像ですが
ですので、不完全のように感じられます。これまた、かってな思い込みかも知れませんが、、、
ということで、授業化もなかなかむずかしいのですね
まあ、これも研究と考えてますが、、、どうなることやら
さっぱり、いや、まったく見通しが立ちませんね

結果は、当ブログにて報告したいと思います
こうご期待!!

2012年6月5日火曜日

土 三好達治 教材研究


まだ叩き台です。

      蟻が
      蝶の羽をひいて行く
      ああ
      ヨットのようだ



1構造
起①蟻が
承②蝶の羽をひいて行く
転③ああ
結④ヨットのようだ 
  ※①②日常の風景  漢字
      ↓     
③④虚構の世界  かな
      短い②長い→③短い④長い
③「ああ」感嘆・驚き

2技法
★比喩(直喩・明喩) 「~のようだ」
【ヨットと蝶のはね】
効果
A類似性(性質・状態)の強調
      色→白・・・ヨット帆 モンシロチョウ (この蝶の種類は?)
      形→三角形・・・ピンと張ったヨットの帆  劣化していないピンとした蝶の羽(この蝶は死んでどのくらいたっている?)
      動き→ゆらゆらと止まることなく進。(どんなふうに運ばれている?)
Bイメージの広がり、変化
      ヨット→蝶の羽(ヨット=風にゆられ気持ちよい、スポーティー)
      海→土(海=どこまでも続く広がり、さわやかな風、雄大な景色)
日常の小さな世界→どこまでも続く雄大な世界への転換
日常のなにげない光景→美しいものへの変化
 
★対比(蟻→蝶)
★漢字(蟻・蝶)
★二文を四行にわけている
○引いて行く→「運んで行く」との違い?
○題名はなぜ「土」なのか?

3主題
 庭かどこかであろう、蟻が蝶を運んでいる様子を見て、「ああヨットのようだ」と発見することで、日常の小さな世界が、大海原の雄大でのびのびとして美しい世界へと変化する面白さ

★「~のようだ」(直喩)を使って詩を書こう。

「わたしと小鳥とすずと」 教材研究


わたしと小鳥とすずと     金子みすゞ

      わたしが両手をひろげても、
      お空はちっともとべないが、
      とべる小鳥はわたしのように、
      地面をはやくは走れない。

      わたしがからだをゆすっても、
      きれいな音はでないけど、
      あの鳴るすずはわたしのように
      たくさんなうたは知らないよ。

      すずと、小鳥と、それからわたし、
      みんなちがって、みんないい。

1、構造よみ
起①~④ 承⑤~⑧ 転⑨ 結⑩
考察
 ※①~⑧までは対句的(対応句)
 ※⑨だけ七音七音の七七調
 ※一連「わたし」「小鳥」・四行
二連「わたし」「すず」・四行
三連「わたしと小鳥とそれからわたし」=「みんな」・二行
 ※①~⑧までは「ない」「ない」と否定的であるのに対し、⑨⑩は「いい」と肯定へと  変化

2,技法よみ
★律
八五調①②④⑤⑥⑧
七五調③⑦⑩
七七調⑨
全体として七五調
→軽快な調子で、はずんだ感じ
→話者の心情の表れ。明るくはずむような楽しい気持ち。
→「ちがう」ことによる喜び、楽しさ。
 ★対句(対応句)
①②・⑤⑥   ③④・⑦⑧   一連(①②③④)・二連(⑤⑥⑦⑧)
Aリズム感
 B内容的に整った感じを与え、安定感を生じさせる
C両者のコントラストを際立たせる
 D同傾向の特徴を強調する。
(私←→小鳥)(私←→すず)それぞれを否定しつつ、対応句(①②と③④・⑤⑥と⑦⑧)となっていることで逆に両者を相乗的に肯定している。
そしてそのことが「みんなちがってみんないい」へとつながり正に「ちがう」=否定的・負であることが「いい」=肯定的・正へと逆転している
 ★くりかえし
  「わたしが~ても」①⑤  効果は対句と同じ
 ★題名と⑨の順序が違うのはなぜか? 題名の最後に「と」がついているのはなぜか?

※まだ試案でしかありません。みんなで実践・研究をかさねて豊かなものに!!

例会報告

参加九名
ひさしぶりに10名をきった
学生さんは実習中
教員はそれぞれ所用ということだった
やはり人数は多い方が盛り上がるかな、、、

と言っても
後藤さんも参加してくれ(一言も発言しなかったのが気になりましたが、、、)
実習中にもかかわらず鳥取さんも参加してくれ(えらい!さすが!)
西川さんは多忙の中、
今回も参加し意欲的に発言し、会の討論をリードしてくれました


まあ、うん十年前
日高さんや今は亡き長さんたちと「読み研」をしていたころは
ほぼ3名~5名でやっていましたから
それとくらべると、、、、です



「学ぶ」ことはなにより自分のためであり
自己実現なのです
「学び」続けるしか
それも仲間とともに「学び」続けるしかないのだと思います

かっこつけすぎか、、、



内容
詩の学習の最終回
詩の読み方のまとめをまず学習しました
自分としてもひさしぶりに
きちんと「詩の読み方指導」について
書いてみました
次に、上記を受けて
3年生「私と小鳥とすずと」金子みすゞ
5年生「土」三好達治
の2編の詩をみんなで読んでみました
①構造よみ
②技法よみ
③主題よみ
の一連の流れで
ほとんどの詩で面白い授業ができそうだという
実感はもてたのではないかと思います
そして低学年の詩の指導の方向性も
少しだけ見えたかなと、、、、



次回は、もう少し参加が増えるといいな