2013年8月2日金曜日

「お手紙」 その4

「お手紙」 その4(終結部)

★終結部
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 四日たって、かたつむりくんが、がまくんの家につきました。
そして、かえるくんからのお手紙を、がまくんにわたしました。
お手紙をもらって、がまくんは、とてもよろこびました。
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「四日」も二人は手紙を待っていたのである。その間、今か今かと毎日玄関に二人して座り、楽しい気分で過ごしていたのだろう。逆に言うと「四日」もそういう気分を味わうことができたのである。その原因は「かたつむりくん」である。少し慌て者のかえるくんが、あわてて何気に頼んだのが「かたつむりくん」だったおかげである。

★この「待つ」に関わって、跡上先生は次のように述べている。
同じ「まつ」でも、導入部の「まつ」と終結部の「まつ」では意味が違う。

 がまくんは自分にお手紙が来ることを期待し、毎日それを待っている。しかしながら、お手紙は来「ない」のだ。「ない」お手紙は、がまくんにとっては「ない」どころが、「ない」ことでもってますます大きな意味をもつようになる。
(「ないことにまつわるふしあわせとしあわせ」跡上史郎)

☆上記の跡上先生の文章を受ける形で書くと
がまくんは自分にお手紙が来るこを期待し、毎日(四日間)待っている。そしてお手紙は確実に来るのだ。それどころか、素晴らしい内容で「ある」ことを知っているのだ。お手紙は、がまくんにとっては「ある」どころが、確実に手紙が「ある」こと(存在していること)、そして内容も自分にとって意味が「ある」ことでもってますます「まつ」ことが喜びの意味をもつようになる。(重藤)
と言ったことになるだろうか、、、、。

 蛇足だが、かたつむりくんは四日もたってついたときに二人へ何といったのだろうか?それを想像せずにはいられない。
私には、きっとかたつむりくんは、
「どうだい、はやかったろ」
程度のことを言って、二人を笑わせたように感じるのである(かたつむりくんはもちろん大まじめ)。
そして二人は
「いや~おそかったね~。おかげで四日も楽しめたよ。」
みたいな事を言いそうな雰囲気を持った物語に感じるのだ。

「お手紙をもらって、がまくんは、とてもよろこびました。」
かえるくんからの話で、すでに「しあわせな気持ち」になっていたがまくんだったが、実際に手紙をもらって「とてもよろこびました。」もちろん、それを見ていたかえるくんも喜んだことは想像に難くない。
こうしてハッピーエンドになり、幸せな気持ちのまま、二人は再び冬眠に入るのであろう。
これがこの『ふたりはともだち』のエピローグになっている。

★『お手紙』の季節は?

『ふたりはともだち』の
1『はるがきた』は、文字通り春のエピソードである。
2『おはなし』は、夏のエピソード。
3『なくしたボタン』は、「大きなくさはら」「せのたかいくさのあいだを」「すずめ」「あらいぐま」などの表現から夏。
4『すいえい』は夏。
という組み立てになっている。
そして最後の『お手紙』は、文からは直接は季節がわからない。がまくんが物思いにふける点からは「物思いの秋」を連想はさせる。絵を他のエピソードと見比べてみると、花や草の背丈が低いように感じられる。秋と言いたいところだが確証はない。しかしこの本の組み立ての流れからは(冬眠の目覚めから、冬眠の前までの話)、秋だと想像はできる。


★終わりに
 これまで4回に渡って、この「お手紙」を長々と書いてきた。
今回は、書きながら、書いた分をその都度このブログにアップするという方法をとった。そのために、誤字脱字はもとより(誤字脱字等は気づいた時点で修正しているが、、、)、肝心の「読み」においても、少しねじれが生じている部分があるかもしれない。また、書きたりなかった部分もある。
それは、このような聞き方(分析風とでも言うのか?)が初めてだったこともある。
 なにより、書き始めた時に見ていた景色と、最後に見えた景色が少しだけ違う景色のように感じている。そのことについては、いつもの様に「叩き台として」という言い訳を付け加えておきたい。

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