あれこれ準備をしました
といっても例の如く一夜漬
おまけに日曜日は夜中に「スペインVSイタリア」
これを見ずしてサッカーフリークは名乗れませんので
それを見てからということに、、、
朝5時までかかってしまいました
いやはや、、、、
それにしてもイニエスタ
キレッキレでしたね~
私一押しのスペイン
ちょっとイヤな展開ですね
ちなみに教材は2年生「スイミー」
どういう資料を用意しようかと考えた末
「スイミーは、絵本を使うのが必要だ」というのが
当サークルの以前の結論でしたから
この際ということもあり、
1つ目の資料として「絵本」について書いてみました。(以下参照)
もう一つの資料は「本時」を技法で読むとどうなるかというもの
「絵本」教材を読むと言うことについて
校内研資料
★「絵本」教材を授業するときに
絵本は「絵」の「本」という意味である。絵本の「絵」は、いわゆる「挿絵」ではない。テキストと絵では、どちらかというと絵が主体とも言える(もちろん絵本によるのだが)。だとすると、他の(絵本以外の)文学作品とは違って、テキストだけではなく、その「絵」も「読む」必要がある。それは近年大人も絵本を楽しむという傾向が増している現状では、なおさらである。
よって、絵本教材を指導する場合、教材研究にあたっては、教科書だけでなく、①元本の絵本にもあたってみる、②絵についても考察しておく、の2点が必要になってくる。
★スイミーとレオ=レオニ
特に「スイミー」の作家は下記にある通り、デザイナー出身で画家でもある。また、谷川俊太郎は、雑誌に「かれ(レオニ)は、自分を表現したいから絵本を描くという人ではなく、むしろグラフィックデザイン的な感覚で絵本制作をしていたのだと思います。絵の方から発想してテキストを描くというところもあったのではないでしょうか。」と述べている。
レオ・レオニ…1910年オランダ、アムステルダム生まれ。15才でイタリアへ移住。39年ナチスのユダヤ人迫害により、一家でアメリカへ亡命。グラフィックデザイナー、画家、彫刻家として活躍、50才で商業デザイナーを引退、絵本作家に転身。
★「スイミー」教科書と絵本の違い
題 教科書 スイミー
絵本 スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし
P46・47・
テキストは教科書も絵本も同じ。絵は教科書より絵本の方が絵が広い。教科書の絵では、スイミーが群れの中心にいるように描かれているが、絵本ではそうではない。
※絵から読めること…魚たちがおのおのの方向を向いているということ。間隔も、密度も均一ではない。
スイミーの黒い色が目立つ。というか異質であることがハッキリとわかる。
P48
教科書 ある日、おそろしいまぐろが、、、
絵本 ところが あるひ おそろしいまぐろが
絵本では、教科書P48のテキストだけで2Pを構成。絵は教科書のP48~49の絵と同じ。
※絵から読めること…兄弟たちがバラバラに逃げているが、それでもスイミーだけは魚の視界の外、違う方向(下向き)に逃げているようにも見える。そして多くの兄弟たちは同一方向へ逃げているように見える。
P49 「スイミーはおよいだ、くらい海のそこを。こわかった。さびしかった。とてもかなしかった。」教科書では、P48 と同じ一場面の絵(まぐろ)の中に書かれている。
絵本では、色彩のない(?)誰もいない、なにもない海のかたすみにスイミーがたった一匹泳いでいる絵の中に書かれている。
※この場面での教科書と絵本の違いから考えられるストリーへの影響
絵本では絵とページ数によって、
①スイミーの孤独が絵で強調されている。
②時間的な経過(孤独の時間がかなりあったと考えられる)
※絵から読めること…ここでもスイミーが中心に描かれて折らず、あくまでも海の主体とみえる。その海の中も、色も他のページの海の色と違う。色がないとも言える。他の生き物もまったく描かれていない。さびしい様子。
P50・51
教科書では2Pで書かれているテキストは、絵本では、「くらげ」「いせえび」「見たこともない魚たち」「こんぶやわかめのはなし」「うなぎ」「いそぎんちゃく」とそれぞれに2Pを当て合計12Pにわたって、それぞれの生き物の絵が描かれている。教科書の絵は、最後の「いそぎんちゃく」のページのもの。
文章的には、教科書では「くらげ。」と書かれているが、絵本ではそれぞれ「くらげ、、、、」「いせえび、、、」と「、、、、」で書かれ、最後の「いそぎんちゃく。」だけ「。」になっている。
※絵から読めること
①一つ一つの生き物の行き来とした様。その面白さ、きれいさ、神秘、、、=海の素晴らしさ。美しさ。
※教科書と絵本のちがい
①一つ一つの生き物の絵がとてもユニークに描かれており、海の中の楽しさや不思議、様々な生き物が生き生きとして生きているということが強調されている。
P52・53(本時)
教科書では一つの場面として見えるこの場面も、絵本では2つに分かれている。P52とP53は別の場面である。
教科書の絵は、最初の場面の絵である。絵本では、岩陰から出てきてスイミーについて行く様子の絵が描かれていて
「スイミーはかんがえた。いろいろかんがえた。うんとかんがえた。それからとつぜんスイミーは、さけんだ。「そうだ!」「みんないっしょにおよぐんだ。うみでいちばんおおきなさかなのふりして!」と文章が書かれている。
教科書「そのとき、岩かげにスイミーはみつけた、スイミーのとそっくりの、小さな魚のきょうだいたちを。」
絵本「そのとき、いわかげに、スイミーはみつけた。スイミーのとそっくりの、ちいさなさかなのきょうだいたち。」
教科書「出てこいよ。」「いっぱいだよ。
絵本「でてこいよ、」「いっぱいだよ!」
教科書 小さい赤い魚たちは、こたえた。「だめだよ。大きな魚にたべられてしまうよ。」
絵本 「だめだよ。」ちいさなあかいさかなたちはこたえた。「おおきなさかなに、たべられてしまうよ。」
※絵本と教科書の違いから生まれる解釈の違い
①教科書では、岩陰にいる時に「考えた」とも読めるが、絵本では、仲間たちが出てきてから、スイミーはいろいろ考えたように読める。仲間たちは、まだ解決策がわからないうちに、スイミーの説得に応じたことになる。
②上記の背景(海の中の生き物の楽しい姿)があるため、スイミーが岩陰にいる魚たちに呼びかける「おもしろいいきものがいっぱいだよ。」が読み手に実感として伝わってくる。よってこの場面の読みは、前の場面の読みが前提となっている。
③時間的経過。
P54・55
教科書では一場面として描かれているが、絵本では下の3つの場面に分けて描かれている。
1「スイミーは教えた。けっして、はなればなれにならないこと。みんな、もちばをまもること。」
絵はまだ大きな魚が頭の部分しか完成していない。
2「みんなが、1ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。『ぼくが、目になろう。』絵は教科書のP54・55の絵
3「あさのつめたい水の中を、ひるのかがやくひかりの中を、みんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。」絵は大きな魚のが半分と逃る黒い魚2匹の後ろ半分。
※絵本と教科書の違いから生まれる解釈の違い
①ここでも時間的な経過がある。
②ぼくが目になろう」が絵的にも強調されている。
③教科書では、大きな魚=兄弟たちをたべたまぐろ。という間違ったイメージを持つ子が生まれる可能性があるが、絵本では2匹の逃げる大きな魚が描かれており、一匹は明らかに例の「まぐろ」ではないことがわかる。
★絵本と教科書ではかなりの違いがあることがわかる。よって次の様な工夫が必要なのではないか
①絵本をカラーコピーして拡大して、単元の学習期間中は、教室に掲示し子どもたちの目にふれるようにしておく。
②授業では、絵本をスキャンするなどして大きく映し出して授業を進める。
③スイミーにおいては特に、海の中の生き物は、一つ一つ子どもたちとその生き物の面白さなどを味わう。
④場面分けを絵本にそって考える。
⑤少なくとも教師は、教科書ではわからない時間的な経過があることを意識して解釈なり指導なりを進める。
★また、「絵本」という観点からは
①「絵を読む」という時間を設定し、子どもたちにも指示をする。
②「絵」と「テキスト」の照応・差異などを授業の読みの中に入れる。
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